2026年06月27日
樺太の悲劇
1945年8月8日。旧ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、突然、満州国や当時日本領であった南樺太に攻めてきた。北緯50度の国境線を超えてソ連軍が南樺太に侵略したのは8月11日で、南樺太の防衛を担当していたのは第88師団だったが、戦車や航空機などの近代兵器を持たない師団で、ソ連軍の侵攻を止めることはできなかった。
8月15日のポツダム宣言受諾後も、攻撃は続く。そして、それは容赦ないものだった。171:ソ連軍は、白旗を掲げた避難民をそこかしこで攻撃(樺太)日ソ国境から140km南にあった製紙と炭鉱の町・恵須取は、西海岸の中心的な街だったことから多くの人が避難して来た。「終戦の放送があった夜、それを否定するかのように激しい空襲を受けた」王子製紙系列の太平洋炭鉱附属病院では空襲による負傷者の手術中も、「ソ連機は病院の上を旋回して機銃掃射を繰り返す」(『沿海州の見える町:樺太恵須取町小史』)。ソ連兵がこの病院に近づくと、8月17日には追い詰められた女性看護師6名が自決した。
172:8月22日未明、樺太からの引き揚げ船3隻が留萌沖でソ連潜水艦の攻撃を受けて2隻が沈没、1708名が犠牲となった(三船殉難事件)。その日の正午過ぎになって、住民の引き揚げ停止を条件にソ連軍と停戦協定が成立する。ところが停戦協定締結のおよそ3時間後、樺太各地から逃れてきた約6000人の避難民でごった返す豊原駅と北豊原駅に、ソ連空軍機が爆撃と機銃掃射を行い500名近い犠牲者が出た。
180:中央銀行の有終:台湾
終戦を迎えた中央銀行として、短期的には取り付け騒ぎを起こさないこと、そして中長期的には戦後インフレを可能な限り抑えることが主な務めだ。戦争には敗れたが、植民地の中央銀行として有終の美を飾らなければならない。
197:臨時軍事費の支払い
戦争末期の昭和20年1〜7月の支払額165億円に対し、8月と9月の2か月だけで194億円。大量の現金が必要に。日銀券の印刷に、凸版印刷・大日本印刷・共同印刷・東京証券印刷の民間工場を動員。
235:38度線以北
朝鮮銀行日本人行員が「背任」などの罪状で、1年間ほど抑留された。もちろん、何が背任に該当するのか説明はない。

