2025年12月11日

軽自動車を作った男




スズキの代表を長らく務め、昨年他界した鈴木修。「俺は中小企業のオヤジ」と言い放ち、実際、そんな雰囲気を出していたが、本書を読んで、実際は大変な秀才であったことがわかる。しかし、戦中戦後に少年期、青年期を過ごし、時代は平穏な人生を許さず、またそれに適応する能力と闘志が鈴木修にはあった。

はじめに:スズキの企業姿勢
やまびこ5号が入線し、4人は乗り込んだが、グリーン車に乗車したのは鈴木修だけ。他の3人(取締役)は指定席だ。安価な軽自動車で利益を確保するには、無駄なお金を一切排除する。

1973~2000までの28年間、軽自動車トップ
首位の座を支えていたのは業販店。スズキは業販店への販売依存度が、当時は8割と高かった。もともとは修理業者やバイク、自転車の販売店を、スズキ車も販売する業販店にしていった。
現在は直販比率が増えて業販比率は約6割。

遠州地方の中にいる異邦人
「修さんは毛呂出身である自分のアイデンティティーを、最後まで貫いた。異邦人だから、いつも客観的に会社を見ることができて、経営判断を下していた」(秋田スズキ石黒会長)





shikoku88 at 20:51コメント(0) |  | 仕事 

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