2025年10月19日

柳田國男『地名の研究』




この著者のことは本書を読むまで知らなかったが、高知の出身とある。共同通信社で記者をしていたが、42歳の時に退社してフリーライターに。しかし、食っていけなくなり47歳から10年間魚市場で働きながら民俗研究を続けた。その原点が、20代のときに読んだという柳田國男『地名の研究』だという。

おわりに:
柳田國男が従来、散発的に発表していた地名関連の論考を『地名の研究』と題して古今書院から刊行したのは、昭和11年(1936)のことである。わたしが同書の角川文庫版を手にしたのは、それから30数年後のことだった。わたしは20代であった。その折の鮮烈な印象は、いまなお記憶に新しい。

70:泪橋
いずれも江戸時代の刑場跡の近く。処刑の日を迎えた罪人が、家族や見送る人びとと最後の別れを惜しむ場所。ちなみに早稲田の面影橋は、刑場に向かう罪人が川面に映る自分の姿に別れを告げたことに由来。

88:潮来
19世紀前半『新編常陸国誌』「いた、潮をいふ。今はいはず」
古い方言で、潮のことをイタといった。

98:軽井沢
「カルフ沢」の訛り(柳田國男『地名の研究』)。
「カルフは(中略)背負うという意味の中古の俗言」
すなわち、馬が通わないため人が背中に荷物を負って山越えをするような道に沿った沢の名。

116:太秦
渡来系の秦氏一族の根拠地。7世紀初頭の建立と伝える同地の広隆寺は太秦寺などとも呼ばれ、秦一族の氏寺。

142:連雀
柔道着の帯のような幅広の紐のこと。荷物を背中にしょって歩くための道具。(中略)連雀は行商人に必須の運搬具で、だから彼らの代名詞になっていた。(中略)大名たちはしばしば、城下町の特定地域に行商人を集住させる政策を取った。連雀、連尺などは、それが地名となって残った。

江戸城下の連雀町は、もとは神田にあった。しかし、明暦3年(1657)の大火で被災し、その跡が日除地として没収されたため、新たに設けられた集住地が今日の三鷹市連雀である。






shikoku88 at 17:50│Comments(0) | 旅行

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