2025年11月27日

クレタ攻防戦



通商国家であるヴェネチアは世界が平和な方がいい。通商路を安全に通れ、商品の遅滞がない。戦争による余計な出費もかからない。そんな中、台頭してきたのがオスマン帝国。
49:クレタ攻防戦
ヴェネツィア本国にいる人々には、風雲急を告げるソランツォやコルネールの報告よりも、いまだ公式には攻めるのはマルタだと言い張る、トルコ側の言葉を信じたい気持ちの方が強かったのである。平和を願望するあまりに、人は、えてしてあらゆる現象を、眼前の平和が続くのに都合の良いように解釈しがちなものである。
トルコを出発した軍船は「行き先はマルタ」だと言っていたが、実際に上陸したのは、当時ヴェネチア領のクレタ島であった。ここは、ヴェネチアの地中海貿易にとって、なくてはならない港があった。
53:1645トルコ軍上陸
攻めてくるトルコ兵を見て、隊長ジュリアーニは迷わなかった。要塞内にあった火薬を全部取り出させ、それを要塞のあちこちに配置して、要塞もろとも自爆したのである。60人の守備兵はもちろんのこと、壁に取りついていたトルコ兵500も吹き飛んだ。
地中海の要衝クレタ島をヴェネチアは要塞化していたので、トルコ軍も簡単には攻め落とせない。その攻防は、なんと23年も続いた。
65:1667クレタ攻防戦23年目
城壁下に掘った穴に埋められた地雷は、爆発したものだけでも613個。ヴェネツィア側の戦死者3600人。そのうちの400人は指揮官である。そして、一方のトルコ軍の戦死者は、2万をはるかに超えた。城壁は、敵味方双方の流す血で、さわるとぬるぬるするほど。
この後、ついにクレタ島は陥落する。クレタ島を失ったことはヴェネチアにとって大きな打撃となる。
85:格差はあっても流動性があったヴェネツィア
海に生きていた時代のヴェネツィアの社会では、貧富の差が固定していなかった。
同時に起こりつつあったのが、産業の変化だ。各家族が農業をしていた時代から、資本家が小作人を使って大農場を経営する時代へと徐々に変化していく。
86:「敗者復活戦」がなくなる
ところが、工業に、次いで農業に重点が移るようになってくると、資本のない者には活躍しにくい状態。(中略)海洋国家時代のヴェネツィアが、なによりも嫌った独占が、ヴェネツィアの社会を侵しはじめていた。
やがて、強大となった「資本」は、さらなる利潤を求め、「独占」を目指す。
87:14万人の人口のヴェネツィア本国に、福祉依存の人が2万に達する
経済構造の変化に起因していただけに、当時としては他国に類を見ないほどに完備した福祉対策をもってしても、貧民の数は、減るどころか増えるばかり。



shikoku88 at 21:18コメント(0) |  | 政治 

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