2025年07月19日
ヴェネツィア株式会社
日本(ジパング)を初めて西欧に紹介することになったマルコ・ポーロ。北京まで行った西欧人は、マルコの父と伯父がはじめてであったし、その宮廷の役人になったのもマルコがはじめてだった。ただ、長年故国を留守にして遠国と交易するのは当時のヴェネツィア人にとっては、それほど珍しい例ではない。
マルコ・ポーロの場合、その話を聴いて書いた人が居たから、後世に名を残せた。他にも似たようなヴェネツィア商人は沢山いたはずだ。44:マルコ・ポーロの幸運大旅行を終えて後に、この時期にしばしば起こっていたヴェネツィアとジェノヴァの戦いに巻き込まれ、ジェノヴァの捕虜になり、牢の中で暇を持て余していた時に、彼の話を聴き、それを書きとめて置く気になった男に恵まれたこと。
32:ヴェネツィア人口10万人貿易で栄え、中世ヨーロッパで第3位規模の都市となったヴェネツィア。10万人の人口とはいえ、海上都市のため、それでも人口は限られていた。
1338年に133千人。10年後のペストで2/3に。14世紀前半に西ヨーロッパではパリ、ナポリに次いで3番目に人口の多い都市と言われたが、陸地型の国の首都であるパリやナポリは、周辺の人的資源を期待できるのに反し、ヴェネツィアは、街の人口イコール国の人口。
35:ジェノヴァ商人第四次十字軍の結果、コンスタンティノープルを西欧人が手中にする。それまでスラブ民族に支配されていた黒海沿岸にはじめて、西欧の商人たちが進出する。ここが正に今のウクライナ。歴史的に、スラブ民族とラテン民族、ゲルマン民族が支配をめぐり争ってきた場所だ。
商売が上手くいくような状態では商人であったが、それがいったん障害にでも出合うと、とたんに海賊に変身。(中略)当時の風習では、このジェノヴァ式のほうが一般的で、ヴェネツィア式が特殊。
37:交易市場当時、すでに、カトリック教会では、同じキリスト教徒を奴隷にすることは禁止されていた。しかし、異教徒を奴隷にすることは認められていたので、ヴェネツィア商人は異教徒を奴隷を求める中東に売っていたという。
小麦に塩、それに塩漬けの魚、毛皮、奴隷が豊富だった。これらの商品、その中でも奴隷は、香味料の集積地であるエジプトやシリアの人々が欲しがる品。
47:中世経済史の権威イエール大学ロベツ教授
「ヴェネツィア共和国は、現代の私企業の会社と同じように経営された」

