2025年06月28日

高峰秀子「私の生い立ち」

高峰秀子の反骨
高峰秀子
河出書房新社
2020-04-24


高峰秀子の講演、エッセイ、インタビューをまとめたもの。最初に出てくるのは、昭和60年に神戸で開かれた講演会(『済生』1986収録)。当時、高峰秀子は60歳の還暦。

ここで出てくるのが「百貫デブ」。何十年ぶりかで聞いた。確かに、私が四国で育っていた50年前にはそうした言いまわしがまだ使われることもあったし、古い体重計にkgと合わせて「貫」が書いてあることもあった。ちなみに、1貫=3.75kgだから、「百貫デブ」は375kg。さすがに、お相撲さんでもこれはない。

巻末の方に、『アサヒグラフ』1955/7/20号のインタビュー記事が収録されていて、そこにはこうある。

94:身長は5尺2寸、体重は100ポンド、バストは33インチ、ウエストは23インチです。

これを今風にメトリック法で表すなら、

身長:157.56cm
体重:45kg
バスト:84cm
ウエスト:58.4cm

1955年といえば、昭和30年。終戦後10年経った「もはや戦後ではない」と言われた年だが、体重も体格もポンド・インチなのが興味深い。それだけ、占領時代にアメリカ方式が徹底されたのか、それとも、戦前から映画界ではハリウッドの影響からポンド・インチだったのか?

さらには、身長だけが尺貫法なのが気になる。

10:食いしん坊
ものすごい大金持ちと結婚して、食って食って食いまくって、デブデブの百貫デブになっちゃおう。そう思っていたのです。

12:松山善三(助監督)
私が一本百万円もらっているというのに、彼は月給13,500円ポッキリでした。月給日に五目ラーメンを食べるのが唯一の楽しみ。(中略)栄養失調でヒョロヒョロしていて・・・

26:子役
私は昭和6年、6歳のときには35円という高給取りでした。(中略)6歳の少女が、大学卒の初任給、大の男の東大出よりももっとお金を取るようになっていたわけです。

38:私自身
そういう高峰秀子のどこからどこまで全部いや、嫌い!という一人の人間。

40:金の卵を産む鶏
母は、私に対して娘というよりは、一人の女性に対するような嫉妬の目を向けて、どこまでも私と張り合うようになっていってしまいました。






shikoku88 at 18:14│Comments(0) | その他

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