2025年06月30日
藩政改革
江戸時代の藩政改革の成功例と言えば、一番有名なのが米沢藩。話は、日向高鍋藩出身の青年藩主・上杉治憲が米沢藩に婿養子として入るところから始まる。治憲はまだ17歳だ。
上杉謙信に始まる上杉家は、関ヶ原合戦で西軍に味方したことから、会津120万石から米沢30万石に移封される。ところが、名門でプライドも高い上杉家は家臣群の人員整理をしなかったため、恒常的な赤字財政になる。
さらに後継ぎがいないまま藩主が急逝。さらに石高が半分の15万石に減らされる。家臣の俸禄は13.5万石だったというから、収入の9割が人件費。これでは他の支出を考えると毎年赤字だし、インフラ整備など前向きな投資も出来ない。年を追うごとに赤字額は膨らみ、それを豪商からの「大名貸し」で賄っていたが、遂に「破綻先」として追加融資を断られたのが、この時期。
治憲が来るまでも、思い出したように藩政改革が試みられたが、毎回「総論賛成・各論反対」で一向に進まなかったという。こうすると、人心が荒廃。どうせ、ゆくゆくは財政破綻するのだからと、藩が払ってくれる間は貰うものは貰い、家臣たちはぜいたくな暮らしを競ったという。
治憲が来るまでも、思い出したように藩政改革が試みられたが、毎回「総論賛成・各論反対」で一向に進まなかったという。こうすると、人心が荒廃。どうせ、ゆくゆくは財政破綻するのだからと、藩が払ってくれる間は貰うものは貰い、家臣たちはぜいたくな暮らしを競ったという。
50:白子神社の誓詞明和4年(1767)9月13日上杉治憲奉納125年後の明治24年に発見。「国家が衰退して、国民が衰えてしまったので、このたび大節倹をおこないたい」
