2025年05月18日

明治政府の「再回収」



江戸幕府が、紀州の難破船が発見し、その後せっかく探検隊迄送ったのに遠すぎて誰も移住しなかった小笠原諸島。江戸後期になると、鯨油を取るために太平洋中で捕鯨していた米国が、捕鯨船の船員を住まわせ領有しようとした。

ペリー提督の報告書でそのことを知った幕府は慌てて咸臨丸を派遣し、領有を宣言する。根拠になったのは、江戸初期の探検隊の記録だったが、英米は「その後管理していなかった」から無効だと無視しようとする。
114:明治政府の「再回収」
1875英国製の新造艦「明治丸」を小笠原に派遣し、改めて日本の領有を宣言。明治丸をおいかけて小笠原にやってきた英国公使も領有宣言を認めたため、日本領有を1876国際社会が正式に認める。
この点、英国の後ろ盾があった明治政府だったから、良かったのかもしれない。英国が日本領有を認めたため、米国も渋々認めることになる。明治政府は江戸幕府の轍を踏まないため、さっそく入植を開始する。
115:1877定期航路就航
帆船で年に3便。日本本土からの入植本格化。1878小学校開設。
1890年代当時の主要産業は、サトウキビ栽培と製糖だったらしい。沖縄と同じだ。1900年の人口は5500人(母島列島3000人)だったということで、これは今の3000人より多い。

116:1930年代空前の繁栄(カボチャ、キュウリ、トマトなど首都圏向け野菜の冬季栽培)

その後、大陸権益をめぐって、米国との関係が悪化。米国が仮想敵国となり、島は要塞化される。父島・母島に2万を超える日本軍将兵が駐屯したというから驚く。
117:1944住民は本土へ強制疎開
父島「平和の碑」小笠原海域で24,000名の戦(海)没者。
住民は疎開していたので直接の被害はなかったものの、島は度重なる空襲で大きな被害を受けた。そして、戦後は米軍が支配することになる。
118:1952日本が独立回復後も、沖縄・奄美とともに米国施政権下
アメリカンスタイルの生活。公用語英語。自給できない生活物資はグアムに注文。
施政権が日本に返還されたのは1968年のことで、戦後23年間米国が治めていたことになる。返還後は、米軍が撤退し、自衛隊が駐屯している。
150:公務員が全体の27%(2015国勢調査)
全国や伊豆七島に比べても突出。防衛省、環境省、国土交通省、農林水産省、気象庁。都の小笠原支庁。多くは本土から赴任し、2~3年で帰る。




shikoku88 at 19:29コメント(0) |  | 旅行 

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