2025年05月17日

無人島(ムニンジマ)



来月、小笠原諸島に行くことになり、事前学習。小笠原諸島の発見は、1670年、紀州の蜜柑船が遠州灘で遭難したことに始まる。江戸時代に、蜜柑が船で紀州から江戸まで届けられていたというのが興味深い。

108:母島に漂着→八丈島経由で帰還→役所に届け出

その届け出を受けて、1675年に「幕府は長崎代官末次平蔵に命じて、鳥谷市左衛門を隊長とする32名からなる探検隊を派遣」する。探検隊は、「日本領を示す標柱を立て、神社を作り、鶏を放ち、測量した地図・海図と博物標本多数を持ち帰り、幕府に提出」し、島は「無人島」(ムニンジマ)と呼ばれた。しかし、余りにも本土から遠いため、島はそのままになっていた。

109:1728小笠原一門を自称する牢人、小笠原貞任が「無人島はわが祖先貞頼が発見し、家康公から賜った領地」と幕府に渡島許可を願い出。『巽無人島記』を提出するも、その記述は実態に一致せず、否定される。同じく提出された家系図も小笠原宗家により否定され、貞任は重追放に。

その間、1690年代初めに長崎オランダ商館に駐在していたドイツ人医師ケンペルの遺稿が英訳・編集され『日本史』(1727)としてロンドンで出版される。無人島は「ブネジマ」として紹介される。国内では、幕府探検隊の小笠原発見は封印される。探検事業を成功させた長崎代官末次家が、その後、海外貿易で蓄えた莫大な富を幕府に憎まれ、取り潰し・家財没収になったためと言われている。
112:19世紀にはいると採油目的の米国捕鯨船が、マッコウクジラなどを追って太平洋を往来
クジラの乱獲で漁場が遠洋に拡大。新鮮な水や食料の補給の必要性が高まる。
1830ハワイからナサニエル・セーボレーを含む欧米出身者5名とハワイ先住民20数名が、小笠原に入植。
幕府が「無人島」を無視している間に、米国は勝手に入植者を送り込んでしまう。1853年にペリー提督浦賀に来航するが、この時、沖縄と小笠原にも寄港している。父島でセーボレーから石炭備蓄基地用の土地を購入し、米国領有を宣言。これには、英国政府が激しく抗議したため、国際的には認められなかった。イギリスは1827年に探検船ブロッサム号がたどり着き、英国領として宣言している。

113:ペリーの公式報告『日本遠征記』(1856)で、幕府はムニンジマに外国人が入植している事実に驚き、1862に外国奉行水野忠邦を乗せた「咸臨丸」を派遣することを決定。水野隊は、入植者を説得して、小笠原の領有を宣言。旭山や常世の滝など現在も使われている地名の多くは、このときに水野が命名。

1858年、日米修好通商条約で日本は「開国」する。小笠原諸島が日本領として認められるのは明治に入ってからのことだ。




shikoku88 at 18:32コメント(0) |  | 旅行 

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