2024年10月24日

ゴーン事件




著者は2017年にカルロス・ゴーンから日産社長を引き継いだ。その翌年秋「ゴーン事件」が明るみになる。その根本原因として、西川氏は次のように言う。

ゴーン会長に代わってリーダーになれる人材が、私を含めた日産の日本人社員、役員の中からなかなか現れなかった。結果として、ゴーンのトップ在任が18年の長きに及んでしまった。(はじめに)

1999年にルノーが日産株式37%を取得する前に日産は経営危機に陥っており、その間に、目端の利く社員は転職してしまった。西川氏も「日産リバイバルプラン」が成功するまでの10年間、給料は上がらず、ボーナスはほぼ出なかったという。
はじめに:
日本企業は製造業を中心とした企業単位の団体戦で勝ち抜き、今の地位を確立。
欧米では1990年代以降、旧来の大手製造業に代わって新世代の起業家が次々とIT企業を生み、世界規模の企業に成長させていった。(中略)つまり欧米では抜きんでたリーダー起業家が次々と生まれる環境の下、いわば個人戦で世界を席巻している。
ゴーンは1999年のCOO就任後、筆頭株主のルノーを背景に、日産で絶対的な権力を握った。それは、経営危機の回避を回避し、日産を再び成長軌道に乗せるために必要な緊急措置だった。しかし、V字回復があまりにうまくいったため(その内容はかねてから日産社内で検討されていたことであったが、日本人経営者は組合の反対からそれが実行できなかった)、絶対権力体制が長く続くことになる。
14:ゴーンと私は「対立関係」にあったのか
内部調査と検察の捜査で露呈したゴーンの背任行為は、明らかな確認犯。発覚した不正行為の悪質さは彼らの想像をはるかに超えていた。
日産再建の成功で、ゴーンは2005年にルノーのCEOにも就任する。ルノーと日産はともに上場企業であり、ルノーが日産の37%(後に買い増して43%)を持つとはいえ、残りはその他少数株主が保有しているわけだから、利益相反がないように、両者の代表者は別でなければいけない。東証にも新規上場の際はそのルールがあるのだが、日産はもともと上場していたので、それを黙認してしまった。これは、東証の職務怠慢ではないだろうか
17:ゴーンの主張する「日産の陰謀」説
西川によるクーデター?
ゴーンが日産の再建に乗り出した後、最初の何年かはパトリック・ペラタ氏をはじめ優れた側近が彼を支えていた。ゴーンに意見できる存在がいた。次第にゴーンが偉くなりすぎたのか、周りにはイエスマンが増えて行った。
「日産よりゴーンさんが大事」そう考える取り巻き連中が幅をきかせるようになった。
絶対権力は絶対腐敗する。東証がCEO兼任を黙認せず、ルノーCEOに就任するなら日産の代表は辞任しなければ上場廃止にするとしていれば、その段階で日産社長は交代し、ゴーン事件もなったと思われる。「帝政」が長く続いたため、「取り巻き」連中ができていき、ゴーンに意見できる人がいなくなった。
26:2018春の状況
長年の懸案であるルノーとのアライアンスの将来形についても、フランス側からゴーン会長(日産の会長とルノーの会長兼務)への圧力が増していた。
ルノーは民間会社だが、1945年以降長い間フランス政府の国営企業であった。1996年に民営化されるのだが、その際にミシュラン北米事業のCEOであったゴーンをルノーにヘッドハントしたのも高級官僚出身のシュバイツァー会長であった。現在でもフランス政府が筆頭株主で、経営陣の多数が官僚出身だ。
29:アライアンスの競争力源泉の一つは日産の技術開発力
経営統合しても、若くて優秀な人材を引き付けられるか?
そこで、フランス政府はルノーのゴーンCEOに圧力をかけ、日産を子会社化しようとする。目的は、日産の持つ技術開発力であった。しかし、これにはフランス政府に間接的に支配されることになる日産経営陣が反対する。
32:ゴーンからアライアンス優先の強引な指示
日産は何事もルノーと相談しなければ動けないという状態。
この状態で、日産は再び経営不振に陥る。それは、ゴーン事件の後も続いている。ゴーンが長期的な競争力強化を後回しにして、短期的な成果を上げることを優先したため、日産は深刻な打撃を受けた。どこか新たな強力なパートナーと組まない限り、日産の再復活はないと思われる。
43:ガバナンスの課題
日産の43%の株を持っているルノーのトップが日産のトップを兼任→一人に権力が集中




shikoku88 at 21:35コメント(0) |  | 仕事 

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