2024年09月04日
ローマ帝国衰亡史
17-19世紀にかけて、イギリスの裕福な貴族の子弟が、大学卒業とともに欧州大陸(主に文化先進国であるフランスとイタリア)を数ヶ月から数年間旅行したのがグランドツアー。今の日本で言えば「卒業旅行」に近い。
ギボンもオックスフォード大学卒業後グランドツアーに出かけるのだが、ギボンの大陸周遊は1763-70年の7年に及ぶ。
131:幼年に身につけたフランスの言語と風習はかねて私の心に、一層大規模かつ自由な計画にもとづいて大陸を再訪したいとの強い欲求をを生み出していた。習慣そして多分には理性の法則にもとづいてイギリス人紳士の教育は外国旅行で完結する。
パリでのギボンの観察が面白い。パリの荘厳な建物や、多彩な芸術学問、贅沢な財宝は、フランス王の権限がイギリス国王のように制限されていないためだと納得している。
132:私は毎朝多くの時間をパリとその近郊の遊覧、その建物が世に知られる各地の教会や宮殿の参観、帝室の工房、書籍や絵画のコレクション、各種の多彩な芸術学問や贅沢の財宝の見学に充当した。パリはロンドンに比して格段にこれら珍重すべき高価な物品に溢れている、何故ならばフランスの首都の富裕はその政府と宗教の欠陥にもとづいているから、と聞けばイギリス人も特に異論を唱えないだろう。ルイ14世とその後継者たちの不在によってルーヴル宮殿は未完のまま残されていたが、ヴェルサイユの砂地とマルリの沼沢地に投ぜられた膨大な国費は1人のブリテン国王の法制上の収入を以てしては到底支弁されない金額であろう。
イギリスに帰国したギボンは「ローマ帝国衰亡史」の執筆に取り掛かる。
一方、父親に倣ったのか、国会議員にも立候補する。159:ロンドン生活、議会、「ローマ帝国衰亡史」1770-83私は父親への最後の荘重な義務を果たして、時間的にも精神的にも最小限の心の余裕を獲得すると、直ちに私自身の境遇と意向に最も適合した独立の生活の計画を立て始めた。しかし網目は余りにも錯綜している上に私は極めて不手際で無能力であったために、私が農事の管理から解放されて自分の住居をベリトンからロンドンの一軒家へ移すまで2年近い歳月(1770-72)が流れ去る有様であった。(中略)このベリトンの故郷の屋敷と地所は今や私の所有となり、私は誰への気兼ねもなく自分の趣味に最も合った人々を招待できた。
164:1774年9月 下院議員私の従姉妹を娶っていたエリオット氏の友情で、私は総選挙でリスカードの都市選挙区から選出された。私は大ブリテンとアメリカの歴史的な抗争が開始されたこの記念すべき時期に下院の議席を占め、真剣かつ無言の投票で母国の利害はともかくその権利を一貫して擁護した。(中略)私が議会に席を置いた通算8回の会期は、歴史家の最初のそして最も大切な徳目たる市民的慎慮の学校であった。

