2024年07月30日
「その20万株、全部下さい」
1997年北海道拓殖銀行が経営破綻する。拓銀がメインバンクで、80万株持っていたニトリ株も処分されることになる。当時のニトリは上場していたものの、札幌証券取引所単独上場で出来高ほぼゼロ。機関投資家で買えるところは無かった。
家具屋で製造小売りをやっているのはニトリだけで、それに注目していた清原氏は拓銀に会うべく札幌に飛ぶ。80万株のうち60万株は行く先が決まり、残りは20万株となっていた。清原氏は言う。
「その20万株、全部下さい」
それは奇しくも、6億円でスタートしたばかりのK1ファンドの投資上限である1/4に相当する1.5億円であった。デフレに陥った日本でニトリは快進撃を続け、1.5億円で買ったニトリ株は、1年後に3倍、5年後の2003年には6倍になった。2004年に10倍になって売却したという。実は、それからさらに10倍になったのだが、それはK1ファンドの役割ではなかった。その間にニトリは東証に上場し、機関投資家が買えるだけの流動性も確保されていた。
「パーティーが始まったら我々は帰ろう」
K1ファンドの基盤を作ったともいえるニトリだが、似鳥社長とは東京で一度会っただけだという。
夕ご飯をオファーしたら「証券会社や投資家の接待は受けない」の一点張りで、「こちらから面談をお願いしているわけだから夕飯代ぐらい出させてくれ」と何回もお願いし、ようやく「1000円以内なら」という条件で承諾。お泊りのホテルでスパゲティ。

