2024年06月27日

ロンドンの熊楠



アメリカの大学で過ごしたのち、ロンドンに渡った熊楠。マルクス同様、大英博物館に入り浸っていたことはよく知られている。
134:1892NY→Liverpool→London
25歳。1900年33歳のときまで8年間ロンドン滞在。
大英博物館の充実した研究環境を十二分に活用。
ロンドンに渡った翌年の1893年。熊楠は、科学系学術誌Natureに「東洋の星座」で華々しくデビューする。その後も英文論文を投稿し続け、大英博物館で東洋美術の仕事を手伝うことになる。しかし、次第に東洋人差別に耐えられなくなり、帰国する。日本では神社合祀運動が進んでいた。
151:神社合祀反対運動
「ロンドンは世界一の都だけれど、汽車で一時間も行けば、有名なエッピングの森などがある。ここには巨木が天空を支えているようにそびえ立ち、昼間でも暗く、古い教会はツタに覆われている。来訪者は秋の日の晩鐘に悲哀を感じ、清らかな水が深く湛えられていて、浮き草がよるべもない人の世の定めを示している。(中略)ロンドンのホコリだらけの空気に汚れきった自分の内臓を吐き出して、洗い終わってまた飲み込んだような気持がした」
これは、全国津々浦々、数限りない神社を、明治政府の国教として、政府の統制下で整理統合しようとするものだった。
154:英国科学振興会「日本のタブーシステム」
日本の神道はその全体が禁忌、つまりタブーの集合。そのことが多彩な文化を育むのに役立った。
「遠い祖先の時代から祀られてきた神社や森、川、山々、岩屋などを心のよりどころとすることは、東洋でも類をみない繊細な文字文化が生み出される上で、強い方向づけとなった」
つまり、熊楠は、各地の神社が、ともすれば、根こそぎ開拓して農地にしようとする人間の欲望に歯止めをかけ、多様な自然環境を守ったと考えた。
155:エコロジー「生態学」
神社林を伐ることによって引き起こされる深刻な環境破壊について論じる。
ちょうど同じ時期、イギリスでポターがナショナル・トラスト運動を始めた。湖水地方に引っ越したポターは、「ピーター・ラビット」の印税が入るたびに、自然環境を保全することを目的として近隣の不動産を買い足していった。1943年にポターが亡くなった時、遺言に従って、彼女の16㎢の土地と14の農場がナショナル・トラストに寄付された。




shikoku88 at 23:47│Comments(0) | 史跡・公園

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