2024年03月07日
政治家・石原慎太郎
1987年、石原は福田武夫内閣の環境庁長官として、初の内閣入りを果たす。
222:環境庁長官新日本窒素肥料株式会社(チッソ)は日本の繊維産業にとって不可欠な存在で、その生産過程で発生する有機水銀はそのまま工場から間近な海に排出され、周囲の豊饒な海を汚染し続けていた。(中略)通産省は繊維産業の停滞を恐れて、その報告書を隠蔽してしまった。
水俣病問題に取り組んだきっかけは、長官室に押し入ってきた川本輝夫だったという。その時は、「アポを取らない者には会わない!出直してこい」と追い返したそうだが、後日、アポを取ってやってきた川本に面談。「水銀による中毒で彼は、祖父、祖母、父、母そして4人兄弟のすべてを失っていた」。
その後の竹下内閣では運輸大臣を歴任。
戦後、イランが国内の石油利権を国有化し、これに反発した英国はホルムズ海峡を閉鎖して、海峡を通る船は英海軍が沈めると脅した。イランに対する経済封鎖だ。しかし、この利権は英国がイランを植民地化して得たものであり、その権利はないという立場をとって、命がけで輸入したのが出光興産。世にいう「日章丸事件」だ。これは、『海賊と呼ばれた男』で小説となり、映画化された。227:イラン・イラク戦争タンカールートのホルムズ海峡の通過が危険化。日本とイランの従来の良好関係からしてイラン側の特別な配慮で日本のタンカーだけは船団方式なるものを採用し、海峡の手前で何隻か集合して共通の数字の旗を掲げて通過し、イランはこれを認めて攻撃は仕かけぬという密約が実行された。

