2024年03月06日
好色
本書に度々出てくるのが、自分の本性だと言う「好色」。いくら「自分と妻」の死後に出版されるとはいえ、政治家という「公職」にあった人間が、こうも赤裸々に出会いから、逢引き、別れまでを書いた本はないと思う。
何がそうさせたのか?その理由を、「作家として死後に正当な評価を受けたい」からだったのではないかと書いてある書評があった。一橋大学在学中に書いたデビュー作『太陽の季節』はその(当時としては)スキャンダラスな内容で大きな話題となり、翌年には芥川賞も受賞した。
しかし、その後の作品は大した評価は受けていない。むしろ、『太陽の季節』の映画化をきっかけに国民的俳優となった弟・裕次郎の兄として、そして、政治家としてのイメージが広がっていく。それを、政治家を引退した時、「俺の原点は文学者だ」と言いたかったのか。
140:政治家デビュー
私は読売新聞に頼まれ、ベトナム戦争の取材に出かけ現地の知識人たちと懇談し、彼等が己の国の有様にきわめてシニックでいるのに驚き、併せて日本におけるベ兵連なる手合いの安易なシニスムとの類似に気付き、日本と言う国家の将来に強い危機感を抱いて政治家になる決心をした時、参議院の全国区に出るという私のために、ならばおまえに2、30万の票をつくってやると水野さん(産経新聞社主)が言い出し、私をいきなり、彼が懇意にしていた霊友会の小谷喜美会長に引き合わせてくれたものだ。
161:N(中町由子)との出会い
人生の見境もなく闇雲に結婚した妻とその間に生まれた子供たちは別だが、人を塾愛するという体験を味わったのは彼女が初めてであり、最後だったと思う。出会った頃、彼女はまだ新劇の女優の卵で俳優座の研究生だった。(中略)劇団四季に移籍して大きく花が咲いた。
165:交通事故が原因でアルツハイマー型認知症に
彼女の母親は以前彼女が妊娠して二人の関係が露見してしまい、私はあるところへ呼び出され、事はこれきりにしてきちんと家庭に戻れと説教されたことがあった。
176:私の好色の遍歴はそれで終わることもなかった。知事時代にあるテレビ番組がきっかけで知り合った私よりも45歳も若い、私の文学の熱狂的な愛好者だという女に言い寄られ関係を持ってしまった。
195:私の妻やNやSやあのYにせよ、私が強いたわけではないが私のために多くの犠牲に耐えてくれた彼女たちのお陰で、私の人生はかなり深く彩られたものとして在ることができたとは言えるに違いない。
