2024年03月05日
『太陽の季節』
石原慎太郎のデビュー作『太陽の季節』が、弟・裕次郎の放蕩を描いたものというのは有名な話だが、それが出た経緯については、今回初めて知った。
湘南高校(入学時は旧制中学)在学時に文学に興味を持った慎太郎は、当初、京大文学部を目指していた。それも仏文だ。それで、フランス語も勉強していたらしい。その前に父親を亡くしている。
父親の役員退職金も出たし、「残された二人の子どものために」と取締役会から追加の資金提供もあったという。それで兄弟が大学を出るまでの生活費は十分なはずだった。ところが、慶應義塾高校に通っていた裕次郎は、母親の預金通帳から勝手にお金を引き出して同級生たちとの遊びに散財してしまう。お手伝いさんも雇えなくなり、それまでの重役の妻としての生活は一変したという。72:「船舶界で屈指の配船屋」父51歳で急逝父は会議のために出かけた新日本汽船の社長室で会議の途中で眠り出し、疲労のためだろうと気遣った周りが父をそのまま残して昼食のために外出してしまい、戻ってみたら昏睡していて手遅れとなったそうな。
ある時、家に立ち寄った父の元同僚に進学のことを聞かれ、「京大文学部」と答えたら、「文学部じゃ苦労しているお母さんを助けられない。公認会計士制度が出来て、それなら卒業後すぐに稼げる。在学中の合格を目指すなら商大だろう」ということで、一橋大学を勧められたそうだ。そうして、首尾よく合格するのだが、公認会計士の勉強は半年で向いてないと諦める。
公認会計士を諦めた後は、再び、文学への思いが募り、戦時中から休刊していた同人誌『一橋文学』を同じく文学好きの仲間と復刊させる。77:公認会計士を目指して一橋大学へ在学中に放棄した生半可な学問の余韻ははるかに年を経て私が東京都の知事に就任した後、思いがけぬ形で蘇り、都の財政再建のために決定的に役立ったものだった。それは国も都も財政運用のために踏襲している単式簿記なるものが、発生主義による複式簿記に比べていかに効率の悪い制度かという認識をもたらしてくれたことだった。
93:苦労の末に出来上がった復刊『一橋文芸』は左翼学生が牛耳っていた大学新聞ではさんざんの不評で、私の書いた処女作の『灰色の教室』は堕落したプチブルの学生を描いた駄作という酷評だった。文学部を持たぬ社会科学専門の大学だけに学生たちの反応も鈍く、せっかく復刊できた雑誌も学生たちに黙殺されたという形だった。
この反応に意気消沈していたところ、慎太郎の処女作は『文学界』同人雑誌評欄の浅見淵の目に留まり、高評価を得た。その『文学界』が新人賞を募集していることを知り、処女作『灰色の教室』の中から、特にインモラルなエピソードを選び書き直したのが『太陽の季節』。これが、芥川賞を受賞する。
結婚当時二人は学生。それも、相手は高校生。二人でホテルから出てくるところを奥さんの親せきに見つかってしまい、問い詰められて結婚。105:私は大学4年生、妻はまだ高校の3年生彼女は私の母親の親しい友人の娘で、彼女の父親は彼女がまだ母親のお腹の中にいる間に中支戦線の激戦地呉松クリークでの戦いで前日小隊長が戦死し、先任将校として急遽隊長を務め、翌日の戦闘で胸に関通銃傷を受けて戦死した。
108:「あなたの家庭は奇跡ですね。私も有名人の家庭をいろいろな関りで知っていますが、4人も男の子がいて、それがすべてまともに育っているのは、あの奥さんのお陰ですよ」(幻冬舎社長 見城徹)
