2024年03月04日

女と海と政治

「私」という男の生涯
石原 慎太郎
幻冬舎
2022-06-17



「この夏が過ぎて9月がくれば私は81になるのだ」

という石原慎太郎が死を意識して書いた自伝。原稿は、「自分と妻」両方の死後に出版することを条件に、幻冬舎の見城社長に託された。

「人生は情熱を演じる劇場である」

とよく揮毫するという石原は、自分の情熱は、「妻を含めて何人か熱愛した女たち。そして海。そして、私が敢えて選択した政治という方法を通して表現した情熱の対象、それは国家であり、そのために守ろうとした国家の比類ない個性としての分化、伝統、風土」だという。

3:2013年の夏、春先にクルーたちが運んでおいたヨットで沖縄からトカラ列島を経てホームポートの油壷まで帰ってきた。思ってみれば、このコースをヨットで走るのは三度目、正確には友人の大型パワーボートでトカラの島々に寄港しながら、あるテレビ局のために水中を含めてトカラ列島の風物の記録映画をつくった航海を含めれば、合計四度目の航海だった。

5:ジャーマン・フレイズが設計してくれた「コンテッサ十世」
母体の彼の50tの名艇「タイガー」を凌ぐ素晴らしい船。
この頃ではクルーたちの気質が変わってしまい、沖縄から油壷どころか、昔は誰もが憧れた花の大島レースのような、せいぜいわずか一晩のオーバーナイトのレースも若い乗り手に敬遠されてしまい、レースとして成り立たなくなってしまった。

53:(旧制)湘南中学校
敵機のパイロットは、明らかに頭上すれすれの低空から下を逃げて走る私たちがまだ子供なのを見定めながら、猟で兎でも狩り立てるように射撃してきていたのだ。後で聞いたら、あの時他の方面に下校していた仲間の一人は敵機に足を撃たれ、一生の不具となってしまった。




shikoku88 at 18:36コメント(0) |  | その他 

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