2023年10月01日
帝政ロシア日本語学校
神昌丸が漂着したのは、アミシャツカ(アリューシャン列島のアムチトカ島)。そこでは、原住民の島民が、毛皮を求めてやってきたロシア人に雇われて低賃金で働いていた。彼らは結局、そこで4年を過ごすことになる。3年ぶりにロシア人を迎えに来た船は目前で座礁。造船の知識のあった光太夫らが指導して、ロシア船の残骸を使って船を仕立てる。そして、カムチャツカ、オホーツクを経てヤクーツクに到着する。
次に向かったのが、シベリア最大の都市イルクーツク。そこで、光太夫らは日本人に出会う。218:ヤクーツクの寒さロシアでも最も寒冷の地で、耳や鼻が壊死して落ち、頬なども腐って脱落する。
299:ロシア領に漂着した伝兵衛、三右衛門、宗蔵、権蔵そして「多賀丸」の漂流民たち。かれらは一人残らずロシア政府の指示で日本語学校の教師に任ぜられ、ロシアの宗教に帰依して洗礼名を受け、それはキリシタン禁制の日本へ帰れぬことにつながっている。
光太夫らも、多賀丸の漂流民同様、ロシア正教に改宗して、日本語学校の教師になれば、ロシア政府の公務員として生活を保障すると言われる。しかし、改宗すれば、キリシタン禁制の日本には帰れない。
302:イルクーツク日本語学校ロシアの南進政策の一環である日本との接触を目標にもうけられたもので、日本語教師として漂流民が利用されている。かれらを職務に専念させるため、日本へ帰りたいという望みを洗礼を受けさせることによって完全に断ち切っている。
日本語教育のために漂流民を帰国させなかった当時のロシア。北朝鮮が日本での工作員養成のために日本人を拉致したことを思い出させる。

