2023年09月30日
伊勢白子浦
江戸時代はよく知られているように鎖国していた。当然、日本人の海外渡航は許されておらず、貿易が許されていたオランダ、中国、朝鮮の船を長崎で迎え入れるのみであった。
しかし、そんな中でも、船は難破する。内海航路はあったので、日本船が難破して流されることは定期的にある。船員の大半は死んでしまうのだが、稀に他国に流れ着くことがあった。そうした船の一つが、神昌丸。
76:故郷の白子浦を出船してから大時化に遭って破船し、坊主舟になって七か月間漂流。幸い、積み荷が米であったので食べ物はあったのだが、水が切れて死者が出る。それでも生き延びた船員が漂着したのはアリューシャン列島であった。
10:伊勢街道沿いの白子浦は、地理的条件から伊勢湾屈指の港町として古くから栄え、本能寺の変の折に徳川家康があやうく海にのがれた地としても知られている。
11:江戸小紋の流行の元
白子浦では綿布を染色する折に用いる型紙の生産が発達し、白子型紙として全国に知られていた。上質の和紙に渋を引いたものに職人が精緻な紋様をほり、その高度な技術は驚嘆の的となっていた。
31:「船頭、髷を切ろう」
海が荒れ狂って船に覆没の危険がせまった時には、髷を切って神仏のご加護を仰ぐ仕来りがある。
