2023年04月02日
妹ヘニーと夫ビショップの死
イザベラ・バードの最愛の妹であったヘニー。二人とも結婚しないまま、子供の時からずっと一緒だったのだ。
初期の作品は、彼女へ旅先での出来事を手紙形式で書いている。そのため文体も生き生きとしているのだが、1880年にヘニーを病気で亡くした後、後期の作品はそうした親しい人に書いている感じではなくなる。
妹を亡くしたイザベラの「悲観と罪の意識はほとんど異常」だったという。翌年に妹の主治医であるジョン・ビショップと結婚するのだが、「このときすでにイザベラは50歳、ビショップは40歳」だったというから、晩婚であった。
そして、結婚生活は5年で終わる。ビショップが病死したからなのだが、イザベラにとっては幸いでもあった。というのは、結婚してからは夫を置いて大旅行に行けなくなったからだ。
290:夫ビショップ「イザベラの心の中には私の手に負えないライバルがいて、それは中央アジアの高原である」
289:『日本奥地紀行』
彼女を単なる「女性冒険家」ではなく、極東の社会・政治に関して鋭い洞察力と観察力をもって描写した作家として、一般大衆の心をしっかりととらえた作品。
303:妹ヘニーと夫ビショップの死
イザベラは物寂しく虚ろな心で、世界でもっとも寂しく空虚な場所と言われていたチベットへ向かっていた。
305:初期の作品に比べて、ヘニーの死後に書かれた三つの大作は重苦しく、高い評価をえるものではなかった。それらは次第に横柄な感じになり、人々の生活を律する道徳、政治、社会に対する洞察を深めてはいるが、一方では彼女の周辺にいる個々の関りについては淡々としている。
309:カシミール山脈越え
「夜9時前に就寝、朝6時に紅茶とトーストパンで食事、身支度と荷造り、7時にくだんのアフガン人と馬の世話係と出発。クーリーに使用人用のテント、米と固ゆで卵、冷やした紅茶、サクランボなどの入った弁当箱と私の用のコルク製のマットレスを8マイル運ばせます。10時に休憩してテントを張り、2.5時間の昼寝ということになります。そしてこれを繰り返すのです」
340:グレート・ゲーム
中央アジアはロシアの「広大な武装キャンプ」
訳者あとがき:西洋という文明によって押し流され、次第に失われつつある自然が辛うじて残っていたのがマレー半島であり、当時のアメリカであり、サンドウィッチ諸島であり、日本でいえば奥羽地方と北海道。
