2023年01月07日
江戸初期から366年営業していた旅籠屋
五十三次の36番目、赤坂宿にある「大橋屋」。平成27年に廃業し、現在は豊川市の資料館になっているが、それまで慶安2年(1649)からなんと366年に渡って旅籠屋として営業を続けていた。松尾芭蕉も泊まったそうで、その際に、「夏の月 御油より出でて 赤坂や」が詠まれている。35番目の御油宿とはわずか1.7km。これは東海道の中でも最も短い宿場間で、この距離の近さを詠ったものということ。
366年の間に、所有家は4回変わっているそうで、江戸時代の屋号は「鯉屋」だった。今風にいえば、M&Aで事業承継したわけで、だからこそ、これだけの長さに渡って続けられたといえそうだ。廃業する前は、江戸時代から続く旅籠で現在も泊まれるのはここだけだったらしい。
㉚浜松
177:伊場遺跡
昭和29年(1954)弥生時代の遺構が静岡県史跡指定。
国鉄(当時)高架化と貨物駅移転が決定し、静岡県は史跡指定を解除。
遺跡上に貨物駅が移転、貨物駅跡にアクトタワー建設。
㊲赤坂
213:大橋屋
㊸桑名
239:江戸時代なら、すでに熱田湊の前に伊勢湾が拡がり、すぐに海路の旅となったが、現在は海岸線の位置が当時と異なるため、熱田から伊勢湾までさらに3kmほど堀川を下らなければならない。
㊹四日市
246:明治政府が行った殖産興業政策の柱が紡績業
特に東洋紡績の設備は群を抜いており、大正3年の合併によって世界最大規模になったが、富田の工場はその東洋紡績の中でも最大の工場で、敷地には工場のほか社宅や学校、病院などがあり、一つの町のようだったらしい。
㊽関
266:1.8kmに及ぶ旧宿場町(国の重要伝統的建造物群保存地区)
東海道の宿場町では唯一の選定地区。
301:逢坂峠
目が見えないために蝉丸が逢坂峠に捨てられたという浪曲の話は、当時高貴な身分の家で行われていた障碍のある子供を都から辺境の地に隠すという習慣を示唆するもの。
