2023年01月06日

超すに越されぬ大井川

東海道五十三次いまむかし歩き旅
高橋真名子
河出書房新社
2022-01-15


40年前の大学時代、東海道をバイクで走って四国まで帰ったことが二度。やはり、大井川は、広かった

江戸時代、大名行列が渡るのに、1回に「現在の金額にして1000万円以上が支払われた」というから、その東西で物流が著しく困難であったということ。この辺りを関東・関西の境としてよさそう。

明治になって中央集権国家となり、何度も橋を架けるが、その度に流されている。恒常的な橋が架けられたのは昭和になってから。

㉔島田

「箱根八里は馬でも超すが、超すに越されぬ大井川」(箱根馬子唄)

145:人足になるには高度な技術
川越を担う人足は、島田と金谷でそれぞれ350人ずつと決められていたが、幕末には650人に。
収入も膨大。江戸時代の中頃に尾張藩主が大井川を超えたときなど、増水していたこともあって、現在の金額にして1000万円以上が支払われた。

㉕金谷

147:大井川橋
明治9年(1876)最初の仮橋。間もなく増水で流失。
明治16年(1883)本格的な架橋→洪水で流失
昭和3年(1928)完成

㉗掛川

162:山内一豊の掛川城
天守閣は平成6年に復元。木造で復元されたのは全国でここだけ。




shikoku88 at 18:15コメント(0) |  | 旅行 

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