2023年01月02日

昔の旅人の体力

東海道五十三次いまむかし歩き旅
高橋真名子
河出書房新社
2022-01-15



上級武士でもなければ馬にも乗れない時代、旅人のほとんどは歩き。日本橋から京都三条大橋まで約500km。これを普通13〜15日で歩いたという。14日として1日平均36km。
58:昔の旅人の体力
日本橋を発ち、一日目は保土ヶ谷か戸塚に泊まり、二日目には小田原までやってきたのだ。一日に歩く距離は平均して男性で十里、女性や老人でも八里と言われている。十里といえばおよそ40km。それをほぼ毎日、二週間以上歩き続けた。
途中、天候不順や川留めで歩けない日もあるだろうから、1日平均40km。現代人の歩く速度は4km/hくらいだから、これだと1日10時間歩くことになる。休憩も入れれば、1日最低12時間。サッカー選手でもこれを毎日続けられる人は少ないのではないか

ひょっとして、江戸時代の人たちの歩き方は違ったのではないかと調べてみた。九州共立大学の木寺教授(スポーツ学)によれば、「近代以降、日本人の身体運動に二度の大きな変化(身体の断絶)」があったという。1度目が明治維新で、2度目が終戦後。

まず、国民国家を目指した明治維新後、軍隊ができるが、当時の若者は隊列を組んだ行進が出来なかった。江戸時代まで、足を高く上げ、腕を振って歩く習慣はなかった。そこで、明治政府は、義務教育の導入とともに、学校で西洋式の歩き方を教え、行軍の練習をさせる。つまり、長く疲れずに歩く方法から、軍隊で集団行動するための歩き方にここで変わる。

次に、終戦後、アメリカのスポーツのトレーニング法が入って来る。この時、「つま先や足の親指の付け根に体重を乗せて動く」ことが良いとされる。

草履やわらじを履いていた頃の日本人は、地面にかかとがしっかりとつくような立ち方をしていました。つま先は外側を向き、かかとやアウトエッジ(足裏の小指側)に圧をかけるようなイメージです。僕らはそれを「外旋立ち」と呼んでいます。(木寺英史「なぜ、江戸町民は”1日40km”も歩けたのか」

宮本武蔵『五輪の書』にも、「きびす(踵)を強く踏むべし」とあるらしい。西洋式の歩き方は、機敏には動けても、故障しやすく、日本人の骨格にも向いてないようだ。

��箱根

65:早雲寺
北条早雲の遺言により創建された寺で、境内には北条五代の墓がある。秀吉の小田原攻めの際には、ここに本陣が置かれた。

��三島

75:富士山に降った雨や雪は、およそ1万年前に起きた富士山噴火による溶岩流の層にため込まれ、10年から20年をかけて山裾の地表に湧き出してくる。静岡県や山梨県にはそういう場所がいくつもあるが、柿田川はその中でもっとも規模が大きく、1日100万トン近い水が湧くという。

shikoku88 at 18:24│Comments(0)│本 | 旅行

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