2022年10月10日

メイド・イン・ジャパン




「メイド・イン・ジャパン」といえば、今では世界的に高品質の代名詞となっている。しかし、それは、以前からそうであったわけではなく、戦前から戦後を経て、高度経済成長期に入ってもしばらくは「粗悪品」と同義語だった時代があった。

それを覆したのは、ソニーやホンダ、ニコンなど当時の輸出産業が頑張ったから。安いから試しにと自転車を買うのと同じ感覚でホンダCubを買った顧客が、安いだけでなく品質もいいし、故障しない、長持ちすると驚く。アジアの戦争取材に赴く従軍カメラマンがその品質と耐久性でニコンを選び、それが評判となって一般人にも広がっていく。

『総会屋錦城』に続く輸出を扱う2編も、昭和34年初版。「粗悪品」とのそしりをどう免れようかと苦闘していた時代の話。

輸出

61:日本の各輸出商社は、ミシンの対米輸出競争の激化が、ダンピングになることを恐れ、1台25ドルの調整最低価格を協定していた。(中略)だが東洋物産では、表面上、25ドルの信用状を開設させ、それで代金を決済しておきながら、後で半ドルずつバイヤーに割り戻しして実際は24.5ドルで売ることにしていた。リベートにあてるドル貨は、補修用品として無為替(無料)で送れる分を売却して当てることにしてあった。

73:戦前
「当時は1ドル2円の世だ。どこの国でも円の前に頭を下げた時代だ」

メイド・イン・ジャパン

111:粗悪品の氾濫
その場限り、一発やって儲かればよい。そうした同業者たちのために、開拓して市場は次々と失われてきた。

146:MADE IN JAPANと刻印を打てば、「粗悪品」と打つのと同じ


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shikoku88 at 19:13│Comments(0) | 経済

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