2022年07月23日

ロイヤルホスト

外食王の飢え (講談社文庫)
城山三郎
講談社
2019-01-25



先日、城山三郎の『鼠』を読んだところ、「城山三郎なら、これが傑作ですよ」と教えてもらったのがこちら。なるほど、面白くて一気に読んだ。読んだのは図書館で借りた昭和57年(1982)の初版本。

前半は主人公である倉原礼一の生い立ちから始まる。倉原の父は東大出で、官営八幡製鉄所に就職。東大出で官営なのだから、出世は早い。八幡製鉄所は昭和9年(1934)に5社が合併して日本製鐵株式会社となるが、政府(大蔵省)が過半数を所有していた。
9:倉原の父(帝大出)
「私大はつまり私大であって、大学じゃない」
倉原の父は仕事熱心で出世欲もあり、戦争が始まるころには八幡製鉄所の所長に上り詰める。礼一は長男で、父親の期待を受けていたが、権威主義的な父に反発し、勉強しない。結局、航空機乗員養成所を経て私大に入り直したところで、招集される。
21:戦後
世の中は、食物を持つ人間と持たぬ人間の二種類に分かれたかに見えた。そして、全社の頂点に在るのが、GIと呼ばれた駐留米軍の将兵と、その家族たちであった。真っ白なパン、あたたかなオートミール、さまざまな卵料理、香り高いコーヒーの朝食からはじまり、そこにはまるで極楽のような食生活があった。
敗戦後、大学に復学したものの、卒業せず、郷里福岡へ。そこでは、戦前、あれほど居丈高であった父親が、所長の座を追われ、意気消沈としていた。資産の大半は会社の株券と国債で、どちらも紙くず同然に。所長専用社宅も追い出された。

37:アメリカ基地
その分分担については、それぞれ、ごく細かな点まで考え抜かれた作業基準というものがあり、熟練者でなくても、また格別規則正しくやらせなくても、手本どおりにさえやっていれば、仕事を消化できる仕組みになっていた。アメリカとは、システムであり、マニュアルだと、倉原は感心した。

倉原は、福岡のアメリカ基地の食堂で働き始めたことがきっかけで、その後高級フレンチレストランを博多に開く。さらに、アメリカ流のチェーン店をやりたいと、セントラルキッチンを設けて、福岡から多店舗展開していく。

これはもちろん、ロイヤルがモデル。ファミリーレストラン「ロイヤルホスト」1号店が北九州にできたのは1971年。本当のロイヤル創業者は江頭匡一で、父親は東大卒業後、八幡製鉄所ではなく、三菱に入社。九州の炭鉱で働いていたようだ。やはり、最後は所長を務めている。


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shikoku88 at 18:19│Comments(0) | 飲食店

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