2022年08月16日

1906(明治39年)「馬匹改良計画」

東京のナゾ研究所 (日経プレミアシリーズ)
河尻 定
日本経済新聞出版
2019-07-09



戦前の方が競馬は盛んだったよう。当初は、不平等条約改定のため、欧化政策の柱として。

1879年に設立された「共同競馬会社」の社長は小松宮彰仁親王。副社長は、毛利元徳。幹事には、伊藤博文、西郷従道、松方正義、岩崎弥太郎が名を連ねた。そして、会計は三井八郎右衛門正に、当時の政財界のWho's Who。会員は606人に上り、鹿鳴館内に設置された東京倶楽部の270人をはるかにしのぐ日本最大の社交団体だったという。

日清・日露後には空前の競馬バブルが訪れる。背景にあったのは、富国強兵。大陸での戦争で、日本の軍馬が大陸の馬に体格で負けていることが実感され、1906(明治39年)「馬匹改良計画」が始まった。馬の品種改良や訓練法の見直しが図られたが、その資金源にあてられたのが競馬。それまで明治政府はギャンブルを厳しく取り締まり、競馬が開催されても、馬券販売は解禁されていた。それが政府の公認となり、全国で競馬場が誕生したのだ。競馬は大ブームとなる。

174:靖国神社は昔、競馬場だった
東京最古の近代競馬は靖国神社で行われた。
1869東京招魂社として創建。翌年、第1回の競馬。1898年まで続く(大村益次郎銅像1893)。

176:上野不忍池のカーブは競馬場にぴったり
1周約1600m。競馬場としてはちょうどいい大きさ。

177:戸山競馬場
現在の早稲田大学理工学部。

178:目黒競馬場
1907-1933.1932年(昭和7年)には東京優駿大競走(日本ダービー)開催。
そこかしこに痕跡。現在は閑静な住宅街。

180:日本人初優勝は「ミカン号」馬主は西郷従道
1860(開港翌年)初の西洋式競馬@横浜
現在の中華街辺りで、1周1200m
1866初めての本格的な競馬場 根岸

182:競馬は鹿鳴館と並ぶ国家事業
明治時代前半の競馬は、鹿鳴館と並ぶ欧化政策の柱。不平等条約の改正を目指した社交の場。


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shikoku88 at 19:30│Comments(0) | 史跡・公園

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