2022年08月15日
丸の内から「ビルヂング」が消える
東京の顔ともいえる東京駅前の「丸ビル」。大正時代に建てられ、2002年に建て替えられるまで正式名称は「丸ノ内ビルヂング」。それが建て替え後は「丸の内ビルディング」に変った。持ち主は言わずと知れた、「丸の内の大家」三菱地所。
私は戦前は「ビルヂング」が主流で、戦後、「ビルディング」に変ったのかと思っていたが(旧仮名遣いから新仮名づかいに変ったように)、そうではなかった。これは、三菱地所という日本の近代オフィスの歴史を作ってきた企業内での話だったのだ。
まず、丸の内で最初のオフィスビルが出来たのが1894年(明治27)「三菱一号館」。戦後一旦解体されたが、2010年に復元された。設計は東大教授もしていたイギリス人建築士ジョサイア・コンドルで、彼は政府から丸の内の払い下げを受けてオフィス化を進めた三菱の3代目社長弥彦の本宅(池之端)も設計した。その後も、三菱〇号館が丸の内に次々と建ち、赤レンガ造りビルが建ち並ぶ一角は「一丁倫敦(ロンドン)」と呼ばれる。
その流れが変わったのが、1918年の東京海上ビルディング竣工。それまでの「装飾性を重視した欧州式から、外観をシンプルにまとめた実用重視の米国式へ転換」したのだ。ビル名は「ビルディング」だった。
その流れを見て、三菱地所が満を持して建設したのが、1923年の丸ノ内ビルヂングなのだ。米国式の大規模ビルディングで、日本のオフィスビルで初めて建物内に商店街が出来た。それまでの「一丁倫敦」から、今度は、「一丁紐育(ニューヨーク)」と呼ばれるようになる。三菱地所では、これ以降建設するビルの名称は「ビルヂング」が基本になる。つまり、これは、三菱〇号館の欧州式から、米国式に変えたことによる名称変更だった。
では、なぜ、ビルディングではなく、ビルヂングなのかと言えば、これは三菱地所でもはっきりしないらしい。ローマ字表記として、「di」は「ヂ」と表記する日本式と言われるルールもあったので、それが影響したという説もある。丸ビルの前に完成した東京海上ビルディングがビルディングであることを考えると、三菱地所のビルであることを強調あるいはブランド化するために、そうしたのではないかとも思えてくる。


