2022年06月18日
幕末佐賀風雲録
今や、茨城県と並んで全国でもっとも存在感が薄いのが佐賀県。それが、幕末の佐賀藩は、最先端の軍備を誇り、幕府と倒幕側双方が自陣に引き入れようと、争っていた。初戦にこそ出遅れたものの、上野戦争以降、東北戊辰戦争の数々の激戦に決着をつけたのは、佐賀藩が持っていた当時最新鋭のアームストロング砲だった。
そんな佐賀藩に天保9年(1838)2月16日生まれたのが、大隈八太郎。後に早稲田大学を創立する大隈重信だ。その大隈重信を主人公とする今年出たばかりの小説。
実は、これまで大隈重信に関する本を読んだことはなかった。大隈重信は演説はうまかったらしいが、いくつかの小冊子を除いて、著書を残していない。そこが慶応義塾大学を創った福沢諭吉と違うところだが、二人は同じ九州人として、仲が良かったらしい。
大隈重信が政府から下野して大学設立を決めたとき、講師派遣などで全面的に支援したのは福沢だ。当時正式な大学と言えば、帝国大学しかなく、帝大の教授が他大学でも講義することが普通だったが、政府と対立して辞めた大隈には協力するなと通達が出ていた。
15:佐賀会所小路 大隈家嫡男「八太郎」誕生
父の信保は長崎港警備を専らとする石火矢頭人(大筒組頭・砲台指揮官)で、知行300石に物成(役料)120石を拝領する上級家臣。石火矢頭人は、佐賀藩と福岡藩が1年交代で幕府から任命されている「長崎御番」の中核。
18:火術方 天保15年(1844)設立
鉄砲を鋳造する部門。藩内でも優秀な若者だけが抜擢される花形部門。
44:天保15年(1844)オランダ使節が日本に開国要求
鍋島直正自らオランダ軍艦に乗り込む。大名として初めて鉄製大砲で装備された蒸気船を見学。
嘉永5年(1852)精錬方 反射炉の建設→蒸気機関開発、鉄製大砲製造
安政5年(1858)三重津海軍所(造船所)
66:江藤新平『図海策』1856
「積極的開国により通商を盛んにし、富国強兵によって西洋諸国との間に対等の関係を築く」という大攘夷論を展開。
166:アームストロング砲
グラバーから買い付け。これまでの砲の常識を覆す装填の速度と射程。
185:トーマス・ブレーク・グラバー
安政6年(1859)、開港間もない長崎に来日(ジャーディン・マセソン商会駐在員)→独立
当初は生糸と茶の輸出→武器の輸入で巨万の富
199:日本初の実用的な蒸気船〜佐賀藩「凌風丸」
薩摩藩は安政2年(1855)に日本初の蒸気船となる雲行丸を建造していたが、故障や蒸気漏れが多く、湾内の輸送に使うのが精いっぱい。
