2022年03月19日
開高健のブーダン・ノワールと豚足
大阪で生まれ育った開高が勤めたのは寿屋。今のサントリーだ。入社して2年後の1956年に東京支店へ転勤となり、杉並区の社宅に入る。
さらに2年後、「裸の王様」で芥川賞を受賞したのを機に寿屋を退職し、嘱託となる。社宅を出て住んだのは、近所のやはり杉並だった。
1974年に茅ヶ崎の東海岸に仕事場が完成し、移住。1989年に亡くなるまで、ここに住んだ。その自宅は、現在「開高健記念館」として公開されている。
147:開高健『日本三文オペラ』
廃墟から無断で金属資材を盗み出す在日朝鮮人たちが、豚の胎児の刺身や羊水のスープに舌鼓を打つし、『夏の闇』の主人公は愛人の女性にむかって、仔牛の睾丸のフライから牛の腎臓、胃袋の煮込みまで、内臓料理の蘊蓄を傾ける。
149:開高は超高級なフレンチ・ワインの瓶の底に溜まった澱について語ると同時に、こうした「現地」の、いかにも庶民的な食べ物を前に、いささかの躊躇もなく広大な食欲を発揮するところがあった。それが小説家としての彼に混沌とした魅力を与えている。
152:開高健は一般的にグルメ作家であると見なされているようだが、生前に彼の近くにいた菊谷匡祐の『開高健のいる風景』を読むと、美食家というよりは食いしん坊といった印象の方が強い。少年期から成人にいたるまで、ただひたすら空腹を満たすためだけに食物をかっこむことしか知らず、味覚を満足させるに足るものをほとんど食べてはいなかったのではないかと、菊谷は推測している。


