2021年10月15日
戦後最大の疑獄
1988年1月、江副は会長に就任し、IBM出身の位田が社長に就任する。これは江副の退任ではなく、当時からはやり始めた両代表制だ。
4月にはホテルオークラ東京で社長交代&会長就任記念パーティが大々的に行われ、その切り盛りは、「その年の1月にI&N事業部から異動して総務部長になった竹原啓二」の初仕事になった。次いで、6月には大阪で同じパーティが開かれたが、そこに江副が現れることはついになかった。
というのは、川崎駅西口再開発でリクルートに便宜を図った川崎市企画調整局長の小松が、リクルートコスモスの未公開株を買い、公開直後に売り抜けて1億円を超える売却益を得ていたことが朝日新聞で報道されることが分かり、江副は東京に残り、その対応に当たっていたからだ。
佐渡(賢一検事 東京地検特捜部)の言によれば、江副やリクルートに「犯意」はなかったということになる。だが、朝日の横浜支局員たちが書いた”スクープ記事”は、江副と江副から株をもらった政治家、官僚、財界人に対する国民の怒りに火をつける。
346:1988年4月会長就任&位田社長就任パーティ
会場となったホテルオークラの大宴会場に招かれた客は3000人。誰もがホールに足を踏み込むなり、度肝を抜かれた。会場の真ん中に設えた本物の桜の木が華麗に花びらを散らしている。竹を使った装飾も独創的だった。(総合プロデュース:勅使河原宏)パーティを切り盛りしたのは、その年の1月にI&N事業部から異動して総務部長になった竹原啓二だ。
352:川崎市企画調整局長 小松
川崎駅西口再開発でリクルートに便宜を図った小松は、江副の斡旋でリクルートコスモスの未公開株を買い、公開直後に売り抜けて1億円を超える売却益を得ていた。
しかし未公開株の譲渡自体は違法ではない。(中略)しかも大和証券会長の千野が田原総一朗の取材で証言しているように、未公開株の譲渡自体は、商習慣として「証券界の常識」だった。
356:「戦後最大の疑獄」追及の号砲
佐渡(賢一検事 東京地検特捜部)の言によれば、江副やリクルートに「犯意」はなかったということになる。だが、朝日の横浜支局員たちが書いた”スクープ記事”は、江副と江副から株をもらった政治家、官僚、財界人に対する国民の怒りに火をつける。
359:総務部長の竹原は、東京地検特捜部に命じられた「譲渡リスト」の取りまとめに奔走していた。江副とリクルートは100人に譲渡を打診し、そのうち76人が譲渡を受けた。地検は「いつ、誰に、いくらで、何株譲渡したのか」を詳細に知りたがった。未公開株の譲渡が犯罪だとは思っていなかった竹原たちは、言われるまま懸命にリストを作った。
360:日経新聞森田社長辞任
日経は内規によって記者や編集者に株取引を禁じていた。(中略)その矢先に、トップの森田がコスモス株の売買で巨額の利益を得ていたことが発覚した。
367:総務部長 竹原啓二
1976年、岡山大学の経済学部を卒業した竹原が入社した時のリクルートは、700人ほどの会社だった。体育会卓球部のキャプテンで都銀や大手電機メーカーから内定をもらっていた竹原は、「交通費実費支給」と赤い文字で書かれた就職案内のハガキに釣られ、大阪見物のつもりでリクルートの面接を受けた。
会う人、会う人が皆「俺が、俺が」とまるで社長のようだ。入社するつもりなどなかった竹原は、出てくる社員たちの勢いに押されて役員面接まで進んでしまった。
初めて会った江副は竹原に得意の口説き文句を使ってこう言った。
「竹原くん、22歳までは歴史を学ぶ立場だけど、23歳からは歴史を作る立場になるんだよ。うちに来たら、自分の仕事は自分で作りなさい」

