2021年10月14日
トウモロコシ、サツマイモ、未公開株
当初は、事件にならないと検察でも判断されていた「リクルート事件」。それが事件になったのは、朝日新聞の執拗な疑惑報道と、それに対する世論のバッシングだった。
今、振り返れば、有罪にしたのは無理がある。リクルートコスモス未公開株は当時の株式市況では値上がり確実だったとはいえ、配られた先は政財界に幅広く、何か特定の依頼の見返りに割り当てたとは考えにくい。
一方、第二電電(現KDDI)を作った稲盛氏のように、江副社長の「危うさ」を感じ取って、遠ざけた人物もいる。そこには、求人情報や住宅情報の「プラットフォーマー」として絶大な権力を持ったリクルートと、その特異な立場を使って別の形で儲けることをためらわなかった江副に原因がありそうだ。
333:収益逓増の法則が働く情報産業で成功を収めたリクルートは、誰よりも多くのデータが集まる「プラットフォーマー」になっていた。チャレンジャーだと思っていた自分たちが、いつの間にか、既得権益を握っていた。
334:江副にはプラットフォーマーの自覚がなかった。情報誌で大量のデータが集まる場を作り上げたのは自分の功績であり、それを利用して儲けることが悪いとは露ほども思っていなかった。先述したように、『住宅情報』に集まる他社の物件情報は、広告主の競争相手であるリクルートコスモスに筒抜けだった。
295:江副は株を(退社する社員から)買い取るために碧が父親から相続した金を使った。社員が辞めるたびに碧名義の株が増え、一時は碧が筆頭株主になっていた。そして会社が大きくなり創業メンバーや幹部社員の間にさまざまな不協和音が生まれると、江副は碧名義のリクルート株を無断で幹部社員に配った。自分への忠誠を「買った」のだ。
308:江副は安比のトウモロコシ、サツマイモと同じ感覚で未公開株を配った
現金で献金するとき、江副は用心深くその痕跡を消している。しかし未公開株は社内で公然と譲渡リストを作り、あっけらかんと配った。(中略)理論上は値が下がるかもしれない。現金を渡すのとはわけが違う。
310:リクルートコスモス株
公募価格3000円→初値5270円
326:「リクルート『寿命』に挑む大胆な借金経営」(1985年10月13日『日経ビジネス』)
リクルートでは大沢が適正テスト、池田友之が営業、森村稔が政策を所轄していたが、今で言うところのCFOがいなかった。あえていえば江副がCEOとCFOを兼ねており、リクルートコスモスとファーストファイナンスは江副の”金城湯地”になっている。リクルートがグループとしてどれだけの土地を買い、どれだけの借金をしているか、江副以外のリクルート取締役は誰も知らない。
328:「女連れ『新財界人』たちの沖縄行き」(『フォーカス』1985年10月25日)
ノエビアが所有する外洋クルーザー「ノエビア丸」の船上で爽やかに微笑む江副と大倉。サングラスをかけた美女。
332:論語と算盤
昭和初期には日本にも世界標準の資本主義の萌芽が見られたが、1934年の「帝人事件」で少壮実業家(現代で言うところの起業家)が一斉に検挙され(のちに全員無罪判決)、自由な資本主義の風土は根付かなかった。そのまま日本は日中戦争に突入し、国が企業活動を統制する戦時体制に入った。
