2021年06月22日

神社で柏手は打つな




第一章は、本のタイトルにもなっている、「神社で柏手は打つな」。

ここ10年、20年のことだが、神社で「二礼二拍手一礼」する人が増えた。これが参拝の作法と書かれた掲示を神社で見かけるようになったからだと思うが、これには少なからず違和感があった。「二礼二拍手一礼」という一連の流れには、神と相対し、「祈念する」という部分がない。

「二礼二拍手一礼」が初めて公の場に姿を見せたのは、明治になってからだという。神道が国家宗教となり、それまで仏教と一体で、神仏習合が当たり前だったのが、神仏分離となった。「廃仏毀釈」で神社の境内にあった仏教寺院は破壊され、神社に奉仕していた僧侶は還俗しなければならなくなった。

天皇を中心とする中央集権国家を作るためだったが、そうなると、神道の祭祀も国家が統一する必要が出てくる。そうして示されたのが、1875年に式部寮(現在の宮内庁式部職)が編纂した『神社祭式』で、国家が祭祀のあり方について規定したものだ。ここで、「二礼二拍手一礼」が出てくるのだが、これは神職が神社で行われる祭事に臨むときの作法を規定したものだった。

戦前は、神社の神職は国から給与を支給される官吏であった。そのため、「神官」と呼ばれたが、神官が祭祀で柏手を打つのを見た一般の氏子が、柏手を打つようになったようだ。

そもそも、二礼二拍手一礼は、それを行う前に玉串を捧げる行為が実践されるべきもので、単独で行うものではない。だから、二礼二拍手一礼には祈念する部分がないわけだ。

では、江戸時代まではどうやって参拝していたか。そもそも、神仏習合だったので、どちらも「合掌してお参りしていた」ということ。そう考えると、子供時代から慣れ親しんだ通り、柏手を打って、合掌して祈念し、最後に一礼すれば十分ということになる。

28:廃仏毀釈
神社に奉仕していた僧侶は還俗しなければならなくなり、仏像を神体とすることも禁じられた。その結果、神社の境内にあった仏教の寺院は破壊された。
中国では、歴史上幾度となく廃仏が行われた。朝鮮半島でも、儒教を重視する李氏朝鮮の時代には、仏教は圧迫された。

31:鶴岡八幡宮(鎌倉)
明治以前には、境内には、「大塔」と呼ばれた仏塔のほか、護摩堂や観音堂など仏教関係の堂宇が建ち並び、仁王門もあった。

33:芙蓉山人『伊勢参宮細見大全』1763〜伊勢詣りのガイドブック
参拝者は、座り込み、合掌して、神を拝んでいる。なかには、頭を垂れて、一心に拝んでいる人もいる。逆に、柏手を打っているような人間は一人もいない。

36:二礼二拍手一礼
1875式部寮(現在の宮内庁式部職)『神社祭式』
国家が祭祀のあり方について規定したもの。神職が神社で行われる祭事に臨むときのもの。

43:なぜ違和感を持つのか
二礼二拍手一礼が、もともと神職の作法であり、しかも、それを行う前に玉串を捧げる行為が実践されるべきものだから。本来、二礼二拍手一礼は、単独で行うものではない。

44:二礼二拍手一礼には、祈念するという部分がない
社前で合掌でいい。



shikoku88 at 20:20│Comments(0) | 政治

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