2021年06月20日
伊能図の時代背景
伊能図は、わが国初の実測に基づく日本全図であり、明治時代以前における地図学の最大業績、「金字塔」とされる。と、ここまでは、教科書で習った通り。
伊能図を語る場合には、忠敬が家業を隠居後に50歳で江戸に出て暦学を志したこと、その後、17年かけて日本全国10回に及ぶ測量調査を行い、その総調査距離は地球を一周するほどになったことなど、個人的な努力に目を奪われがちだ。
しかし、日本全国の実測地図作成という国防に直結する事業を幕府が許し、バックアップしたことには、当時の時代背景があることを忘れてはならない。18世紀後半から19世紀にかけては、「ロシアの南下」をはじめ、西洋諸国のアジア進出という対外的な圧力が日本におよんできた時期なのである。
これにより、それまでほとんど知られていなかった北海道などの周辺地域も含め、正確な日本図は時代の要求であった。「忠孝の最初の調査地が北海道南部沿岸であったことは、決して偶然ではない」
それだけ有名な伊能図だが、実は現存してない。伊能図『大日本沿岸興地全図』は、幕府提出用の正本と、その控図である副本の二種類が制作された。正本を目にしたのは将軍と幕府要職にあるごく限られた人々であったと思われる。「その後、一部が模写されたり、幕末に大学南校から刊行されたりもしたが、それ以外に積極的に利用がなされた形跡はない」。
そして、正本は明治6年(1873)の皇居火災により焼失している。「明治政府は慌てて佐原の伊能家にあった副本を東京帝国大学への貸し出しという形で提出させたが、それも大正12年9月1日の関東大震災で焼失してしまった。(中略)現在、伊能図と呼ばれるものはその模写図か、調査段階で描かれた図、もしくは大名家からとくに依頼されて忠敬が差し出した図などなのである」。
80:伊能図の時代背景「ロシアの南下」をはじめ西洋諸国のアジア接近という対外的な圧力が日本におよんできた時期。北海道などの周辺地域も含め、正確な日本図は時代の要求。92:江戸時代中期「相模屋・石川流宣」コンビの地図ヒットメーカー『万国総界図』(1688)『江戸図鑑綱目』(1689)97:長久保赤水『改正日本輿地路程全図』(1779)浅野弥兵衛(大坂)刊行京都を中心とする経緯線縮尺が明示された最初の刊行日本図赤水自身が実測により作成したものではなく、諸図・諸本を参考にして編纂した地図101:老中田沼意次がとった蝦夷地入植計画&ロシアとの交易幕政史上かつて見られることのなかった積極的な対外政策。107:地図の値段(元禄〜正徳の20年間)およそ米1kgや1日の日当と同じ。108:海外から見た日本日本列島の姿が明確に表れるのは、朝鮮で作成された地図『混一彊理歴代国都之図』(1402)描かれた日本列島は行基図〜おそらく唐招提寺所蔵図のような図が朝鮮にもたらされた。109:ヨーロッパから見て「極東」日本列島の地図化は遅れ、とくに北海道ならびにその北方地域は厳しい自然環境で、世界地図の上で最後まで「未知の領域(テラ・インコグニタ)」として残された。
