2021年06月05日
将門の祟り
大手町のビルの谷間にひっそりと佇む「将門首塚」。天慶の乱(939)で、下総で殺された将門の首が、その怨念でここまで飛んできたとされる。京都政権からの独立を目指した将門を祀った首塚を徳川幕府は丁寧に祀ったが、アンチ徳川の明治政府は朝敵将門の塚を粗末に扱った。
塚を取り壊して庁舎を建てた大蔵省では、大臣他幹部14名が次々と急死する。戦後にはここを整地しようとしたGHQの工事関係者が事故死。塚の敷地にかかって建てられていた日本長期信用銀行は倒産。
昨年、将門首塚に隣接する三井物産ビルが建て替わったが、工事の際にも塚を傷つけないよう細心の注意が払われた。先日、建て替わってから初めて訪れたが、以前は塚に迫っていたビルが後退し、明るくなった。
ところで、将門を祀っているのは首塚だけではない。都内には首塚を含めて7か所あり(地図)、それが北斗七星の形に配置されている。
「徳川3代に仕えた黒衣の宰相天海僧正は、将門の強い怨霊を、江戸の守護神として祀ったと言われる。都内には将門を祀る場所が7つある。それぞれが主要街道の出入り口にあたり、江戸城を守るように配置されていた。いずれも高台や微高地など地形的にも特異な場所にあたり、これらのスポットを結ぶと北斗七星の配列が武蔵野台地に浮かび上がるのだ」

54:六本木六本木交差点は丘の頂部に位置し、六本木通りと外苑東通りの2つのメインストリートはいずれも尾根筋で、どちらも逸れれば急峻な窪地、ひとたび坂を転がれば一気に谷底まで落ちてゆくという、危うい丘の町が六本木の真の姿。60:狸穴町永坂町とともに港区内で町名変更が行われなかった場所。1962「住居表示に関する法律」住民による反対運動で、江戸期からの町名が守られた貴重な地域。102:言問通りの南側、暗闇坂で下りる長方形の窪み(弥生2丁目)元警視庁射撃場。国内最後の内戦である西南戦争に派遣された警察関係者が狙撃演習を行った場所。元々自然地形の窪地を射撃場として四角形に整備。193:日比谷入江ヒビとは「篊」のことで、竹や木の枝を干潟や浅瀬に突き立て海苔や牡蛎を付着させて収穫するのに用いる。海苔や牡蛎の養殖を行っていた漁民集落のことを日比谷と呼んでいたことが、この地の地名の語源だ。194:将門の首塚939天慶の乱(京都政権による収奪に対する独立戦争)
