2021年05月16日

戦後の理研




戦後の理研は大打撃を受ける。日本の最先端を行っていた核物理実験のためのサイクロトロンは進駐軍によって東京湾に投棄されてしまう。アメリカの物理学者から「兵器開発には関係ない」と進言してもらうが、時すでに遅し。間に合わなかった。これによって、戦後日本の物理研究は世界に大きく出遅れてしまう。

第二の衝撃は、大河内所長の戦犯容疑者指名。大河内は軍人や一部の政治家と一緒に巣鴨拘置所に収監される。

そして、第三の衝撃が理研の「集中排除法」指定。いわゆる「財閥解体」の対象に理研もなってしまう。理研の研究費をねん出するために作られた会社群であったので、資本蓄積はほとんどなく、利益は研究所に吸い上げられていた。

こうして、60幾社かのうち生き延びたのは十数社にすぎなかったといわれる。生き延びた会社の中で最も成功したのが理研光学。今のリコーだ。

「中で、市村清だけが急速に力を発揮していた。彼の理研光学は、戦争中の産業統制の際に大河内の意向で産業団から外されたのが、有利に働いた。財閥解体に際しても制限会社の対象にならずにすみ、公職追放も免れた上に、本社や工場が不思議に戦災を免れた」

こうして、研究費を賄う企業群を失った理研は、縮小の一途をたどる。それでも、戦前の研究の系譜は戦後も多くの研究者に引き継がれた。国の研究機関となってからはどうも成果が上がらない。

文化勲章受章者 10人+
学士院賞 30人*
ノーベル物理学賞 朝永振一郎 湯川秀樹
ノーベル化学賞 福井謙一(喜多源逸門下)

341:サイクロトロンの投棄が第一の衝撃なら、大河内の戦犯容疑者指名は第二のそれ
第三の衝撃は大河内が巣鴨拘置所から出所してきてまもなくの21年6月末に襲ってきた。この衝撃こそは致命的だった。GHQから、理研は集中排除法にふれるから解体せよという指令が発せられたのである。

346:研究所と切り離された旧理研産業団の会社群もまた苦難の道を歩んでいた。解体してバラバラにされてしまえば、ざらにある中小企業の群れにすぎなかった。(中略)「理研産業団とは理化学研究所を講演するための産業団」であったのだから、甚だしきはビタミンAを売っていた理研栄養薬品のように、売上の30%が研究所に吸い上げられる会社もあり、内部留保はまるでなかった。

353:新設されていた新制大学に転出する研究者も多かった。終戦前の最盛期には二千人近い職員がいたのに、26年に千人足らず、そして27年には400数十人に減っている。

355:アメリカは、平和産業の量産法がそっくり兵器生産に転用できたのだ。現在の戦争は軍需品生産の競争であり、昔の戦争のように士気の問題や戦闘員の数での問題ではない。

359:この研究所は大発明などよりももっと価値のある、科学技術の発展に寄与した、すぐれた人材を輩出したことで、この上なく高く評価されよう



shikoku88 at 17:43│Comments(0) | 史跡・公園

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