2021年05月04日

江戸の海岸線




江戸の地図を見てすぐに気づくのは、江戸湾が広いこと。もともと、日比谷辺りまで海だった江戸湾を干拓するところから江戸の開発は始まっているが、機械を使うわけではないから、自然の海岸線が大きく変わることはなかった。

例えば、勝海舟と西郷隆盛が会見して、江戸の無血開城を合意した三田の「薩摩藩屋敷」。今は三田駅の東側に碑が建っているが、この屋敷は屋敷裏が海に直接面していた。誰の目にも触れず、船で出入りできるわけで、倒幕活動には好都合だったろう。

当然、高層建築もなく、武蔵野台地をちょっと上がれば、江戸湾が一望できた。そして、天気が良ければ富士山まで見えたわけで、東京各地に残る「富士見」の地名を見ると、当時が羨ましい。「東京23区には少なくとも16カ所、別名で富士見坂と呼ばれるケースも含めれば24カ所以上」の富士見坂があるという。


Nomura House


shikoku88 at 18:03コメント(0) |  | 史跡・公園 

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