2021年03月21日

満州

赤い月(上) (岩波現代文庫)
礼, なかにし
岩波書店
2019-06-15


なかにし礼の両親が満州に渡ったのは、昭和9年。それまでは小樽で当初は父親の家業の馬車屋(運送業)、大戦景気が終わってからは食料店を営んでいたらしい。

当時の満州の人口は約3千万。以下のような構成だった。

漢民族 9割
満州族 2百万
朝鮮民族 1百万
日本人 20万
ロシア系 10万

満州なので満州族が多いのかと思ったら、そうではなく、満州族は清朝の数百年の間に征服民族として漢民族と同化してしまったらしい。満州の地に残った満州族は人口の1割に満たず、逆に中原から進出して農業を始めた漢民族が圧倒的多数となった。

満州の南部は7世紀まで高句麗だったので、朝鮮民族がその次に多く、満州国が建国されて増えつつあった日本人は20万人。ロシア革命を逃れてきたロシア人村もあったらしい。

3:夜も明け始めると、薄紫の牡丹江の空にソ連軍爆撃機が数機飛来し、それに立ち向かう日本軍機は一機とてなく、ソ連機はまるで退屈しのぎでもするかのように、牡丹江駅周辺に爆弾を投下していった。

52:避難列車に乗る順番は、まず軍総司令部の将官家族、つづいて佐官家族、尉官家族、その次に満鉄社員家族、一般人はそのあと。

194:ハルビンの収容所
女はよりどりみどりだ。はたち前後の若い娘をごぼう抜きにして連れていく。

206:小樽が商業都市として台頭しはじめるのは日清戦争が契機であり、日露戦争で南樺太が日本領となると、新しい開拓地への中継地点として一躍脚光を浴びることになる。大正3年に世界大戦が始まって、ヨーロッパの国々の農産物の生産が落ち込むにつれ、小樽は、澱粉や豆類といった道内の農産物をヨーロッパへ運ぶ輸出港として栄えた。


shikoku88 at 18:00コメント(0) |  | 政治 

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