2020年10月25日
小説家は寛容な人種なのか
春樹ストには有名な話なのだろうが、
「ある日ふと思いついて『風の歌を聴け』という最初の小説(みたいなもの)を書き上げ、文芸誌の新人賞をとりました。そしてよくわからないまま職業的作家になってしまいました」(p17)
というシンデレラボーイのような村上春樹。この本ほど、「小説を書くということ」が方法論ではなく、本質的に、明確に書かれた本は読んだことがない。
「それは『たとえば』を繰り返す作業です」というのも、小説を書くという行為は、「歩くよりはいくらか早いかもしれないけど、自転車で行くよりは遅い、というくらいのスピード」と言われれば、実感として理解できる。
村上春樹はランナーとしても有名で、毎日10km、1時間走るという。これを30年以上続けている。これが小説を書くスピードに合っているのかもしれないが、小説家が皆ランナーということはなさそうなので、これもどうだか怪しい。
ただ、「あまりに頭の回転の素早い人は、あるいは人並外れて豊富な知識を有している人は、小説を書くことには向かない」というのは、そんな気がする。一つのことをじっくり考え続けられる人なのだろう。
18:小説をひとつふたつ書くのは、それほどむずかしくはない。しかし小説を長く書き続けること、小説を書いて生活していくこと、小説家として生き残っていくこと、これは至難の業です。普通の人間にはまずできないことだ、と言ってしまっていいかもしれません。22:あまりに頭の回転の素早い人は、あるいは人並外れて豊富な知識を有している人は、小説を書くことには向かないのではないかと、僕は常々考えています。小説を書く――あるいは物語を語る――という行為はかなりの低速、ロー・ギアで行われる作業だからです。実感的に言えば、歩くよりはいくらか早いかもしれないけど、自転車で行くよりは遅い、というくらいのスピードです。意識の基本的な動きがそのような速度に適している人もいるし、適していない人もいます。25:小説を書くというのは、とにかく実に効率の悪い作業なのです。それは「たとえば」を繰り返す作業です。ひとつの個人的なテーマがここにあります。小説家はそれを別の文脈に置き換えます。「それはね、たとえばこういうことなんですよ」という話をします。(中略)限りのないパラフレーズの連鎖です。
