2020年07月16日

古の人々

文明崩壊 上巻
ジャレド ダイアモンド
草思社
2013-07-12


第4章は、「古の人々〜アナサジ族とその隣人たち」。アナサジ族というのは、現在の米国ニューメキシコ州の北端、チャコ渓谷にあるプエブロ・ボニート遺跡を築いた「古の人々」。600年頃から1150-1120頃まで5世紀以上にわたり、この渓谷に建物の高さ5-6階建てという都市文明を築いたが、突然消えてしまった。「アナサジ」というのは、その600年後に遺跡を発見したナバホ族が付けた「古の人々」という意味らしい。

良く知られたように、アメリカ先住民(ネイティブ・インディアン)は、氷河期にアジアから凍って地続きだったベーリング海を渡ったモンゴロイド系狩猟採集民族。温かい土地を求めて、そこから南下していった。

そのうちの一部が、このチャコ渓谷に定住し、農業を始めたようだ。ここは当時今ほど深い渓谷ではなく、地下水位が地表近くにあり、灌漑しなくても農業が出来た。周辺は森で、燃料や野生動物の供給源であった。

この文明が終焉したのは、一つには、人口が増えて食料重要が高まり、森林を農地に変えてしまったこと。そして、増えた農地を灌漑するために、水を引いたが、これによって川床の侵食が進み、地下水位が下がって逆に作物が採れなくなってしまった。

食べ物は無くなり、人口は多い。最後は、イースター島でも起こったのと同様、残り少ない資源を争って紛争が起こる。ここにも人肉食の痕跡が残っている。

湿潤温暖な日本では、これほどの悲劇が起こることが少なかったのは幸い。日本人が他民族に比べて特段賢いとは思わず、日本でも後の影響を考慮せず、資源をあるだけ獲り尽くしてしまったことは何度もある。しかし、山が裸になっても日本では何十年かすれば植生は戻ってくる。

ところが、それほど湿潤温暖ではない黄河平原や、アメリカ西部では一度失われた森林は戻らず、砂漠化が進んでしまう。
235:ふたつの環境問題が進行したせいで、作物の生産高が減り、事実上チャコ峡谷内での木材供給が断たれたにもかかわらず、アナサジがこの二つの問題に対する解決策を見つけ出したことで、1029年に始まった建設の躍進期を中心に、人口が増え続けた。特に湿潤な気候が続いた数十年間は、建築物が一挙に増えた。降雨量が増えれば食料も人も増え、建築物の需要も増えるからだ。

237:チャコの社会は小型の帝国へと姿を変えた。住民は、じゅうぶんな食事を摂りながら贅沢に暮らす上層階級と、貧しい食事を摂りながら労働に従事して作物を育てる農民とに二分された。

239:衰退と終焉
プエブロ・ボニートと近隣のチェロト・ケトルのグレートハウスにおいて、年輪年代法により最後の梁材とされた木は1117年に切られ、チャコ峡谷におけるほかの最後の梁材は、どれも1170年に切られている。ほかのアナサジ遺跡には、人肉食の痕跡も含めて、紛争のあった証拠がさらに数多く見受けられる。


shikoku88 at 19:28│Comments(0) | 旅行

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