2020年06月20日

水上勉さんの水車小屋

河童が覗いた「仕事場」 (文春文庫)
妹尾 河童
文藝春秋
1997-12T



水上勉は母が好きな作家で、よく読んでいたのを覚えている。その水上さんは若狭出身らしい。尤も、「十歳で京都へ出たので、村の小学校も卒業していない」という。

一家で京都に引っ越して、後に小説家として成功した後、増え続ける蔵書のために、「どこかに書庫を考えたが、生まれた村に小さな図書館を建てて、ぼくと同じように本を読みたくても買えない少年に開放することにきめた」。

こうして1985年にできたのが『若州一滴文庫』で、現在でもNPOにより運営されている。水上氏は、竹を原料にして和紙を漉いていたが、これも現地で体験できるようだ。

「古くから中国では『竹の紙』は書家に珍重され、貴重品であったという。日本ではあまり広く知られていないが、その書き味の良さは群を抜いている。しかし、それを作るのは、面倒な作業を経なければならない」

そんなに良いものであれば、竹が増えて困っている中で竹の利用につながるかもしれないが、工程が効率化できないと難しいのだろう。

232:水上勉さんが、福井県の若狭で『若州一滴文庫』という図書館と、その隣に、竹人形の芝居を上演するための劇場を、藁ぶき屋根で建てたことを聞いた。かなり興味を持っていたが、その人形の頭に使う和紙も、自分で漉いていると知って驚く。しかも念の言ったことに、紙も竹を原料にして作るという凝りようとか・・・・・。

233:「若狭の二つの原子炉が、1157kwhの出力で、京都、大阪、神戸地域などに送っているわけ。都会の夜の明るさはここから送られているの。昔から地場産業を持たなかった成長ゼロの村としては、迎えるものはこれしかなかったわけですね。お金や道路や橋や学校の建物など、貧しかった生活が世間なみになった代わりに、若狭は大きな不安を抱えてしまった。捨て場に困る廃棄物が現実に出続けているという問題です。私が恐ろしいと思っているものがもう一つあります。人の心の変化ですよ。日常の喜びや楽しみまで、余所からもらうのが、当然のことのようになったことが悲しい。喜びや悲しみも、自ら作るものでしょう」

235:『たった一人の少年に』
「ぼくはこの村に生まれたけれど、十歳で京都へ出たので、村の小学校も卒業していない。家には電灯もなかったので、本も読めなかった。ところが諸所を転々して、好きな文学の道に入って、本を読むことが出来、人生や夢を拾った。どうやら作家になれたのも、本のおかげだった
(中略)本は多くの人によってよまれた方がいいにきまっている。どうか、君も、この中の一冊から何かを拾って、君の人生を切りひらいてくれたまえ。たった一人の君に開放する」


shikoku88 at 18:29│Comments(0) | その他

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