2020年06月11日
教えるということ
3年間だけだけど、フルタイムで大学院で社会人MBAクラスを教えた。それ以前にも立命館大学院でMOTを非常勤で教えていた時の延長だったが、それまでの民間企業での経験とは違った充実感があった。
それは、教師と学生との関係は特別であること。たった3年間だったけど、その時の教え子は今でも「教え子」であるし、大学を離れて5年経っても、「先生」と呼んでくれる。子供はいくつになっても子供だが、ちょっとそれに似ている気がする。
著者は1906年横浜生まれで、1928年東京女子大学を卒業後、国語教師として長野県の諏訪高等女学校に就任。1947年、新制中学の教師に転出し、以来、単元学習など数多くのユニークで実践的な指導を編み出してきた。
16:東京女子大学の安井哲学長が卒業に当たって「今日まで、早朝から深夜まで一生懸命に勉強したでしょう。そのままで10年間は暮らさなければいけませんよ。10年間は先生なんて言うもんじゃない、今のとおりでね・・・」70:私の受け持った卒業生は、「先生のことを忘れない」と言ったこともないし、また私も忘れてほしいと思っています。私は渡し守のような者だから、向こうの岸へ渡ったら、さっさと歩いて行ってほしいと思います。「どうか、自分の道を、先へ向かってどんどん歩いて行ってほしい。私はまたもとの岸へもどって、他のお客さんを乗せて出発しますから」88:でも・しか先生教師になった動機はともあれ、ここに今こうして研修のために集まったり、教育の世界に身をおいて、「でも」であろうと、「しか」であろうと、「のみ」であろうと、そんなことに関係なく、未来の建設にみなさんがいそしんでいるという、そういう姿勢こそがたいせつだと思うからです。
