2020年05月24日
哲人政治家
『硯滴考』という小冊子を大平正芳記念財団から頂いたのは1.5年前の秋。読まないままになっていたのを、この「巣ごもりGW」で読む。何しろ、図書館が先月から閉鎖されて、予約していた本を借りることもできない。閲覧は3月から既に中止となっていた。貸出まで止めてしまうのはやりすぎだろう

「哲人政治家」とも言われた大平正芳は、政治家にはめずらしく数多くの文章を残している。大平は生前にそれらの原稿を、半期ごとに小冊子『硯滴』として配っていた。大平正芳記念財団は、2年前から原稿を編集しなおして、『硯滴考』として発行している。これは、その第1号だ。
第1号の最初は、「長男正樹との永別」(昭和42年8月執筆)。大平は、当時26歳になる長男正樹を昭和39年に亡くしている。死因はベーチェット氏病。現在も難病指定されており、原因は不明だという。
名文で、読んでいると感情移入せざるを得ない。
6:長男正樹は、昭和13年2月6日、横浜の磯子で生まれた。当時私は横浜税務署長で、住居は芦名橋の近くにあり、磯子の浜から一町ほど離れたところにあった。どこか磯の香のする閑静な住居であった。7:昭和20年に入って戦争はいよいよ最悪の段階に踏み込み、空襲は日増しに激化していった。牛込の私の家の前には、川合玉堂画伯、左横隣には歌舞伎の中村吉右衛門丈、右横隣には古河財閥の総帥古河従純氏がそれぞれ住まっておられた。古河家には大きい立派な防空壕がつくられていて、私の家族は、よくその防空壕を利用させてもらっていた。13:春になったので、私は彼を郷里香川県の方に挨拶がてら旅行させた。彼は香川県生まれではないが、香川県人だという強い自覚をもっていた。学生時代も休暇の時は墓参によく帰ったものだ。

