2020年04月29日

コメ先物市場




女性FPはたくさんいるが、商品先物取引を得意にしているのはこの「リカちゃん」しかいないだろう。いわゆる「こうすれば、儲かる」系の本ではなく、先物取引の仕組み、役割から、その歴史まで書かれたマジメな本。

2011年に関西商品取引所(現・大阪堂島商品取引所)と東京穀物商品取引所に米先物が試験上場される。米の先物取引が日本で復活したのは、戦争拡大で国家統制が強まった1939年だったので、実に72年ぶりのことだった。銘柄は、新潟コシヒカリ、あきたこまちに続いて、先日宮城県産ひとめぼれも上場された。

どうしてこれほど長く、復活しなかったのか。戦時下の1942年に導入された食料管理制度の影響が大きい。戦時体制を支えるための制度だったが、食糧難が続いた戦後もそれが残る。そこまではいいのだが、1960年代になって輸入食料が増え、米が余り出しても残る。その時点で廃止しすれば、補助金を出して減反政策を進めることなく、市場に任せることができたが、政治と農家票が結びつき、日本の農業は自立する機会を失った。

その結果、日本人の米消費量は減り、パンは増えている。「日本人の主食はコメ」を取り戻すには、先物市場も含めて市場原理が正常に機能する必要がある。

一般参賀者数

























はじめに:300年前の江戸時代に、世界に先駆けて商品先物市場を創設したのは日本
コメの価格変動をリスクヘッジするために商人たちが創り上げた。

39:大阪堂島商品取引所米先物市場
2014-2019の間に玄米重量で42000tの米が受け渡し決済。

70:「デリバティブの父」レオ・メラメド
CME市場創設にあたり、江戸時代の大坂堂島米会所のシステムを参考にした。
第二次世界大戦中、杉原千畝氏が発行した「命のビザ」で日本に逃れ、その後、渡米したユダヤ人。日本の先物市場発展への貢献で2017旭日重光章受章。

75:米の先物市場
大正時代後期より、戦争を背景に、国家統制が強くなり、1939年商品取引所閉鎖。
終戦後、商品取引所は再開されるが、コメの先物取引は復活しなかった。

77:2011年試験上場
米の価格決定権を失いたくない米生産者団体の反対
農家などの生産者、流通業者の参加数85(当初)→161(2019)


shikoku88 at 17:08コメント(0) |  | 政治 

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