2020年05月18日
高度1万メートルの精密さと危険(公差=0.000000000001”)
ジェットエンジンを開発したのは英空軍士官のフランク・ホイットルで、それに投資したのはO T Falk & Partnersという英マーチャントバンク(の投資子会社)だったことを初めて知った。
クランウェルにある英国航空士官学校の士官候補生として書いた論文が「航空機設計における未来の進展」で、高高度を飛ぶにはピストンエンジンとプロペラの組み合わせでは無理だと指摘している。翌1929年にガスタービンエンジンでプロペラを回すのではなく、後ろから空気を強力に噴射させることを思いつき、1930年に特許を取得する。
しかし、この独創的な考えはなかなか理解されない。「航空省などはいっさい関心がないと言ってのけ、イギリスの主要航空エンジンメーカー3社もホイットルを門前払いにする。1935年には特許の更新をする時期だったのに、ホイットルはその手数料5ポンドを捻出できなかった」という。
ジェットエンジンへの関心を最初に示したのはドイツで、ハイケンルとユンカースが開発に乗り出す。ホイットニーの雇い主である英空軍も既存エンジンメーカーも誰も興味を示さない中で、最終的に資金援助したのはシティの投資会社であったO T Falk & Partners。この会社の上級パートナーであるランスロット・ロー・ホワイトが投資を決める。
ホワイトは元物理学者で、技術投資に興味があったようだ。こんな言葉を残している。
「大きな飛躍がなされるときは、かならず旧来の複雑さが新しい単純さに取って代わられるものだ。それが今まさに、工学という鉄の世界で起きようとしていた」
O T Falk & Partnersとホワイトについてはほとんど記録が残っていない。というのも、1936年にホイットルのために設立されたPower Jets社は戦争のため1944年に国有化されてしまったからだ。その時の値段が135,000ポンド。3000ポンドの資本金でスタートした会社はその後増資を繰り返しており、O T Falk & Partnersがいくら回収できたかは不明。
1951年にPower Jets社は、米国政府から今後20年間の特許使用料として1,428,600ポンドを受け取っている。すでに会社は1948年に事業活動を停止しており、一番儲けたのは英国政府だったようだ。
229:フランク・ホイットルまだ若き飛行機訓練生だった頃にジェットエンジンの基本構想を得ていたが、金銭的な理由からその特許を更新できなかった。ホイットルが初めてジェット機を飛ばしたのは1941年5月。234:航空省などはいっさい関心がないと言ってのけ、イギリスの主要航空エンジンメーカー3社もホイットルを門前払いにする。1935年には特許の更新をする時期だったのに、ホイットルはその手数料5ポンドを捻出できなかった。235:1935年代半ばには、ドイツが航空機用のジェットエンジンの製造に乗り出すことを表立って表明。一方のイギリスは正反対で、アイデアを形にするための支援を一切与えていなかった。236:パワージェッツ社(1936)ベンチャー投資会社O T Falk & Partnersが前金3000ポンドを渡し、ホイットルのために会社を設立。ホイットルは主任技師にして会社の唯一の従業員。244:ハインケルHe178(1939)イギリスが初のジェット機製造に向けて進んでいる間に、ドイツはすでにターボジェット推進機の試験を終えていた。エンジン設計は1933年にハンス・フォン・オハインが手掛けたものを下敷き。
