2020年05月04日
ドイツと日本の戦後「引き揚げ」
ポーランド人ほど、歴史に対する関心が総じて高く、歴史研究の生産力、消費力ともに高い国は珍しいらしい。
ドイツとロシアという強国に挟まれた平野の多い国(ポーランドという国名はポーランド語で「平野の国」は歴史上度々覇権の舞台となってきた。何しろ、「ポーランドでは、20世紀以降に限ってみても第一次世界大戦と国家の独立、第二次世界大戦での独立喪失と占領、ホロコースト、再独立と社会主義体制の成立、国境線の大幅な移動と大規模な住民移動、反体制運動の展開と社会主義体制の崩壊、体制転換とEU加盟など、次から次へと劇的な変化が起こっている」のだ。
ポーランド現代史を捉える「認識パッケージ」には次の三つがあるという。
ソ連規格:第二次世界大戦を反ファシズム解放戦争としてとらえ、ソ連を絶対的勝者にして解放者とし、他方ドイツを絶対的敗者とする。ドイツに対してなされた略奪やレイプなどの非道や、反体制派の弾圧などはタブー。
民族の規格:ナショナル・ヒストリーの再構築。ソ連規格が否定した第二次世界大戦以前の旧体制を再評価し、そのうえでソ連から被った非道を強調。
EU規格:EUに加盟し、その中で人権や少数者への配慮などいわゆる普遍的価値を共有しながら、国境の相対化や隣接諸国との関係改善を促そうとする。ドイツ占領下の現地住民によるホロコーストへの加担や、敗者ドイツに対して行われた非道など、加害の事実をも直視する。
1998年には「国家記録院(IPN)」が設立され、「二つの全体主義期(ナチ占領下+共産主義体制下)」にポーランド国民に対して犯された犯罪を追及し、場合によっては訴追すること、共産主義体制下の公安文章を保管・調査し、市民のアクセスを保証することが行われてきた。旧公安資料を公開したことで、ポーランド現代史研究は量的にも質的にも飛躍的に進展する。
しかし、その中でも、ドイツ人「追放」問題の解明はなかなか進まなかった。これは、第二次世界大戦終結前後から戦後初期にかけて、戦後ポーランド領となる地域に共住していた約850万人とも1000万人とも言われるドイツ系住民がドイツへの移住を強いられたもので、その過程で数百万人が命を落としたと推定されている。
これを敗戦後の日本人の「引き揚げ」と比べてみる。敗戦時の在外軍人と在外一般人の人数は、それぞれ353万人と約300万人の合わせて約660万人であった。
中国軍管区:312万人(満州を除く中国本土)
ソ連軍管区:161万人(満州、北朝鮮、樺太、千島列島)
英蘭軍管区:74万人(東南アジア)
豪軍管区:14万人(南西諸島)
米軍管区:99万人(南朝鮮、太平洋諸島)
どこの軍管区にいたかが引き揚げ者の運命を大きく変えた。満州には終戦時に105万人の日本人が取り残されていたが、25万人が故国の土を踏むことができなかった。満州での民間人犠牲者は、東京大空襲や広島原爆、あるいは沖縄戦をも凌ぐ。
それ以外の地域では大きな犠牲者出さずに引き上げが進み、財産はすべて失ったものの、追放ドイツ人が被ったような悲惨なめには遭わずに済んだ。
102:ドイツ人「追放」問題第二次世界大戦終結前後から戦後初期にかけて、戦後ポーランド領となる地域に共住していた約850万人とも1000万人とも言われるドイツ系住民がドイツへの移住を強いられた。104:ポツダム合意ポーランド・チェコスロバキア・ハンガリーに残留しているドイツ系住民のドイツへの移送。360万人のドイツ人が強制的に排除。ドイツへと向かう過酷な道中で命を落とした者の数100−200万人。ドイツ人のための強制収容所の設置と、そこでの強制労働。109:ハインツ・エッサー『ラムズドルフの地獄』1957ワンビノヴィツェ強制収容所で医師を務めていたハインツ・エッサーがドイツ人が被った被害を回想。収容者8000人のうち、6488人が死亡。

