2020年05月03日
ヨーロッパにおける「公共史」の試み
はじめに:歴史認識の対立は東アジアの専売特許ではない。19世紀に国民国家が成立、完成するのと並行して発展した歴史学は、そもそも国民国家を正当化するために誕生したといっても過言ではない。とりわけ歴史教育が「健全な国民を育成する」という目標を掲げていることについては、現在でも、政治的立場を超えて共通認識になっているといってもいいかもしれない。問題は「健全な国民」とは何かについて意見が分かれることである。
日本でも話題になり、日本語訳まで出た独仏共通歴史教科書(2006)。「史上初めて国境を超える共通歴史教科書として、また、長年の対立を乗り越えた独仏両国の歴史和解の到達点として大いに注目を集めた」が、その後一般学級で採用されることはなかったという。
そのくらい、EUで統合の進んだ両国でも、「共通の歴史認識」というのは難しいということだ。
*「慰安婦」問題をはじめ、国内外で歴史認識をめぐる分断が絶え間なく生じ続けるなか、歴史学はどのように現実にコミットしうるだろうか。ナチズムや戦争責任などをめぐり日本と同様の問題を抱えてきたヨーロッパで、歴史認識の分断を越境するために積み重ねられてきた、博物館やテレビドラマ、歴史教科書などの公共史の試みを紹介し、その可能性を探る。2:公共史とはなにか Public History北米で1970年代に登場。1980年代にNCPH(全米公共史評議会)。「公共史とは、共同研究や歴史の実践を促進する運動、方法論そしてアプローチであり、実践者は、その専門的洞察を大衆にとって身近で有益なものとする氏名をすすんで引き受ける」7:ヨコの公共史2006独仏共通歴史教科書(高校用)→一般学級での採用なし2016ドイツ=ポーランド共同歴史教科書→現場で未使用9:歴史博物館東アジアにおける歴史認識が問題化したのは、1980年代の日本の歴史教科書問題の時期から。韓国の天安の独立記念館、中国の南京大虐殺記念館の展示も、日本の植民地支配や侵略戦争を告発するという明確な目的で設立されており、この二つの歴史記念館と日本の遊就館は、いわば東アジアの状況を象徴している。遊就館の展示の最初に掲示されている年表は、プラッシーの戦い、つまりイギリスのインド制服から始まっており、日本の近代の戦争を西洋に侵略されるアジアの盟主として戦った戦争としてすべてを肯定するというストーリー。26:『悲しみと憐れみ』の衝撃アメリカ人研究者ロバート・O・ボクストンが、ヴィシー政府の主体的な対独協力政策を実証した『ヴィシー時代のフランス』(1972)によって、それまで有力だったペタンの面従腹背説を一掃。61:Generation War「ナチは常に他者であり、ドイツ人は犠牲者である」(U・ヘルベルトの批判)ポーランドで、ドイツにおける被害者意識の高さと加害者意識の低さを映し出していると批判。
