2020年02月24日
科学と宗教というおかしな夫婦
第5章は、「科学と宗教というおかしな夫婦」。科学と宗教というと、普通、正反対の印象だ。科学は実験によって真実を明らかにする活動で、一方、宗教ではその教義に疑問を呈することはないように思う。
しかし、ハラリは、「近代と現代の歴史は、科学とある特定の宗教、すなわち人間至上主義との間の取り決めを形にするプロセス」だという。「現代社会は人間至上主義の教義を信じており、その教義に疑問を呈するためにではなく、それを実行に移すために科学を利用する」。
それは、「科学と宗教は集団的な組織としては、真理よりも秩序と力を優先する」からだ。「21世紀には人間至上主義の教義が純粋な科学理論に取って代わられることはなさそうだ」と予測するが、一方で、「科学と何らかのポスト人間至上主義の宗教との取り決め」に移行する可能性を指摘する。
環境破壊は、人間至上主義の表れだろう。
220:物語は人間社会の柱石の役割を果たす。歴史が展開するにつれ、神や国家や企業にまつわる物語はあまりに強力になったため、ついには客観的現実まで支配し始めた。人びとは偉大な神セベクや天命や聖書を信じたおかげで、ファイユームの湖や万里の長城やシャルトルの大聖堂を造ることができた。だが不幸にも、こうした物語をむやみに信じたせいで、人間の努力はしばしば、現実の生きとし生けるものの暮らしを向上させるのではなく、神や国家といった虚構の存在の栄光を増やすために向けられることになった。227:宗教とは社会秩序を維持して大規模な協力体制を組織するための手段である231:科学は人間のための実用的な制度を創出するには、いつも宗教の助けを必要とする。科学者は世界がどう機能するかを研究するが、人間がどう行動すべきかを決めるための科学的手法はない。243:宗教は何をおいても秩序に関心がある。宗教は社会構造を創り出して維持することを目指す。科学は何をおいても力に関心がある。科学は、病気を治したり、戦争をしたり、食物を生産したりする力を、研究を通して獲得することを目指す。科学者と聖職者は、個人としては真理をおおいに重視するかもしれないが、科学と宗教は集団的な組織としては、真理よりも秩序と力を優先する。したがって、両者は相性が良い。真理の断固とした探求は霊的な旅で、宗教や科学の主流の中にはめったに収まりきらない。244:近代と現代の歴史は、科学とある特定の宗教、すなわち人間至上主義との間の取り決めを形にするプロセス現代社会は人間至上主義の教義を信じており、その教義に疑問を呈するためにではなく、それを実行に移すために科学を利用する。科学と人間至上主義を結びつける契約が崩れ去り、まったく異なる種類の取り決め、すなわち、科学と何らかのポスト人間至上主義の宗教との取り決めに場所を譲る可能性。

