2020年02月19日

テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来
ユヴァル・ノア・ハラリ
河出書房新社
2018-09-05



ベストセラーになった『サピエンス全史』の著者による、「人類の未来」。

「人類は自らにとって最悪の敵であり続けた、飢饉と疫病、戦争を克服しつつある。この三つの問題を克服した我々は、今後不死と幸福、神性の獲得を目標とするだろう。人類は自らをアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス(神)に変えるのだ。生物工学や情報工学などのテクノロジーを用いて、世界を、そして自分自身をも、思い通りに作り替え、創造することを目指すのである」

第一章は、「人類が新たに取り組むべきこと」。

「エピクロスはおよそ2300年前、快楽を過度に追求すればおそらく幸せではなく惨めになるだろう、と弟子たちに警告した。その2世紀ほど前、ブッダはそれに輪をかけて過激な主張をし、快感の追求はじつは苦しみのもとにほからなない、と説いた」

戦後の経済繁栄の中で、あらゆる調査は、一定以上の経済発展と人間の「幸せ」には相関関係がないことを示している。アメリカは1950年代から10倍は豊かになったが、幸福度は変わっていない。

「韓国は1985年には比較的貧しい国で、厳格な伝統に縛られ、独裁的な政権に支配されていた。ところが現在では、経済大国の一つに数えられ、国民の教育水準の高さは世界でも指折りで、安定した、割に自由主義的な民主政権を持っている。とはいえ、1985年に10万人に約9人の韓国人が自殺したのに対して、今日では年間の自殺者数は10万人当たり36人にのぼる」

9:20世紀の中国でも、中世のインドでも、古代のエジプトでも、人々は同じ三つの問題で頭がいっぱいだった。すなわち、飢饉と疫病と戦争で、これらがつねに、取り組むべきことのリストの上位を占めていた。人間は幾世代ともなく、ありとあらゆる神や天使や聖人に祈り、無数の道具や組織や社会制度を考案してきた。それにもかかわらず、飢饉や感染症や暴力のせいで厖大な数の人が命を落とし続けた。

10:今日、食べ物が足りなくて死ぬ人の数を、食べ過ぎで死ぬ人の数が初めて上回っている。感染症の死者数よりも、漏水による死者数のほうが多い。兵士やテロリストや犯罪者に殺害される人を全部合わせても、自ら命を絶つ人がそれを数で凌ぐ。

18:スペインの艦隊が到着した1520年3月にはメキシコには2200万人が暮らしていたのに、同年12月にまだ生きていたのは、わずか1400万人だった。だが、この天然痘も最初の一撃にすぎなかった。スペインから来た支配者たちがせっせと蓄財し、先住民たちを搾取している間に、インフルエンザや麻疹(はしか)その他の感染症の致命的な波が相前後してメキシコを襲い、1580年には人口はとうとう200万人を切った。

21:過去数十年間で最悪の医療上の失態に思えるエイズの悲劇ですら、医学の進歩の表れと見ることができる。1980年代初期に初めて大規模な発生が起こって以来、3000万人以上の人がエイズで亡くなり、それ以外にも何千万人もの人が身体的にも精神的にも深刻な痛手を受けてきた。

25:戦争はかつてないほど稀になった。古代の農耕社会では死因のおよそ15%が人間の暴力だったのに対して、20世紀には、暴力は死因の5%を占めるだけだった。そして21世紀初頭の今、全世界の死亡率のうち、暴力に起因する割合はおよそ1%にすぎない。

26:核兵器のおかげで、超大国の間の戦争は集団自殺という狂気の行為になり、したがって、この地上で屈指の強国はみな、争いを解決するために、他の平和的な方法を見つけることを強いられた。同時に、世界経済は物を基盤とする経済から知識を基盤とする経済へと変容した。

45:アメリカの独立宣言が保証しているのは、幸福追求の権利であって、幸福になる権利そのものではない。ここが肝心なのだが、トマス・ジェファーソンは国民の幸福を国家の責任にはしなかった。むしろ彼は、国家の権力を制限しようとしていたにすぎない。

47:伝統的な社会と比べて先進諸国のほうが繁栄していて、快適で、安全であるにもかかわらず、自殺率がずっと高いというのは不穏な兆候だ。ペルーやハイチ、フィリピン、アルバニアでは、毎年自殺する人は10万人当たり5人程度だ。一方、スイスやフランス、日本、NZのような豊かで平和な国では、毎年10万人当たり10人以上が自ら命を絶っている。

55:イラクではアメリカの兵士の12%が、アフガニスタンでは17%が、戦争のプレッシャーと苦悩に対処しやすくするために睡眠薬か抗うつ薬を服用した。恐れ、うつ、トラウマは、砲弾や仕掛け爆弾や自動車爆弾の類が原因ではない。ホルモンや神経伝達物質や神経ネットワークが引き起こすのだ。

57:エピクロスはおよそ2300年前、快楽を過度に追求すればおそらく幸せではなく惨めになるだろう、と弟子たちに警告した。その2世紀ほど前、ブッダはそれに輪をかけて過激な主張をし、快感の追求はじつは苦しみのもとにほからなない、と説いた。快感は儚く無意味な気の迷いに過ぎない。私たちは快感を経験した時にさえ、満足したりせず、さらにそれを渇望するだけだ。

59:人間を神へとアップグレードするときに取りうる道は、次の三つのいずれかとなるだろう。生物工学、サイボーグ工学、非有機的な生き物を生み出す工学だ。

64:人間を神にアップグレードすることについて語るときには、聖書に出て来る全能の天の父ではなく、古代ギリシアの神々やヒンドゥー教の神々のようなものを考えたほうがいい。ゼウスやインドラと丁度同じで、私たちの子孫には、依然として短所や風変わりな点や限界があるだろう。だが彼らは、私たちよりもずっと壮大なスケールで愛したり、憎んだり、創造したり、破壊したりでいるだろう。


shikoku88 at 20:05コメント(0) |  | 仕事 

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
Archives
Recent Comments