2020年01月26日
1960年代のアメリカ
壮大な物語は続き、1967年夏に。アメリカではベビーブーマー達がヒッピーになる一方、1963年11月ケネディ大統領暗殺の後大統領に就任したジョンソン大統領は、「ヴェトナムを共産主義に明け渡した大統領になりたくない」という一心から、ヴェトナム戦争にのめり込んでいく。
1964年に人種差別を禁ずる公民権法は成立したものの、その実現は道半ばで、これまでのやり方を変えたくない南部諸州での白人と黒人の対立は続く。そんな中、非暴力での公民権運動を長年続けてきたキング牧師が遊説先のメンフィスで1968年4月に暗殺される。その夜、アメリカ各地のスラム街で住民の怒りが爆発し、110の市で暴動が起きる。
兄の後を追って、民主党から大統領候補に立候補した弟のロバート・ケネディが遊説先のLAのホテルで暗殺されたのは、その2か月後だ。
ヴェトナム戦争は1955年から1975年まで20年間に渡って続いており、戦争による米軍側(主に米軍と韓国軍)の死者数は約30万人(北ベトナム側は120万人)。最近のアメリカの犯罪による死亡者数は年間約2万人で、ヴェトナム戦争当時の死者数も同等だとすると、20年間で40万人。実は、戦争による犠牲者よりも、国内の犯罪死亡者のほうが多いという不思議な国。
321:ハイト・アシュベリー1967年夏、この界隈はヒッピー・ムーブメントのメッカとして、突如有名になった。高校や大学が休暇に入ると、アメリカじゅうの若者がヒッチハイクでSFへやってきて、ハイト・アシュベリーを目指した。警察はマリファナやLSD、ブエナビスタ公園での野外セックスの横行に目をつぶった。そして、若い女性はだれもがピルを服んでいた。331:ベトナム戦争アメリカ本国ではだれも認めていないだろうが、ヴェトナム人の農民を地雷探査犬の代わりにするのは、そんなに珍しいことではなかった。小径のどこに地雷が埋まっているかを知っていることが、ときにあった。兵士たちには見えない危険信号に気がつくこともあった。それに、たとえ仕掛けに気づかなくても、自分たちの代わりに死んでくれる。347:ウェストモーランド将軍常識を超える行為だった。父親の口を割るためという口実など、どこかへ消えていた。何か知っていたら、娘がレイプされる前に話しただろう。小隊の行いに対する言い訳は尽きていた。手をつけられない状態だった。ウェストモーランド将軍は人間ではない怪物を作り上げ、それを故意に野に放ったのだ。357:リンドン・ジョンソン大統領ジョンソンは外交を見る目がなかった。彼の専らの心配は、戦争に負けて、ヴェトナムを共産主義に明け渡した大統領になりたくないということだった。その結果、戦争にはまりこみ、国民には勝っていると嘘をついていた。438:キング牧師暗殺110の市で暴動が起きていた。ワシントンでは、2万人が警官隊をものともせず、建物に火を放った。ボルティモアでは死者6人、負傷者700人が出た。シカゴではウェスト・マディソン・ストリートが2マイルにわたって瓦礫と化した。
