2019年08月26日

15世紀イタリア「銀行革命」



レオナルド・ダ・ヴィンチが婚外子であったのは有名な話。代々ヴィンチ村で公証人という地位の高い専門職を担っていた家に生まれ、跡を継いだレオナルドの父親ピエロ。村の少女を妊娠させたとき、彼にはフィレンツェに婚約者がいた。婚約者はフィレンツェでも有力な公証人一家の娘で、結婚すれば、公証人として出世は間違いない。ピエロは、予定通りフィレンツェに行って結婚する。

ヴィンチ村で生まれたレオナルドの面倒を見たのは、祖父のアントニオ。それでも息子のことが気にはなっていたらしく、ピエロは後にレオナルドをフィレンツェに呼び寄せる。当時、紙は貴重品だったが、公証人だったピエロの仕事場には紙が豊富にある。レオナルドはこの紙を使って、スケッチし始めるのだ。

「メモ魔」でもあったレオナルドは、公証人になることも考えるが、当時の公証人は世襲で、婚外子には世襲が認められていなかった。そこで、ピエロは息子が書いたスケッチを彫刻家のヴェロッキオに見せる。ヴェロッキオは一目で才能を見抜いたようで、弟子入りが認められた。

レオナルドが活躍することができたのは、当時のイタリアがアジアとの東方貿易を独占して巨万の富を上げていたから。そして、国際貿易への必要性から、為替制度や融資制度が出来る。キリスト教では利息を取ることが禁じられていたので(時間を司るのは神の特権)、為替手数料などで実質的に金利を取っていた。
23:公証人になれず、ヴェロッキオに弟子入りしたレオナルド
メモ魔だったレオナルドにはダ・ヴィンチ家に代々伝わる「あらゆるものを記録に残す」公証人気質が受け継がれていたのかもしれない。

34:バンコを悩ますウズーラの禁止
キリスト教の「利息の禁止」は異教徒には適用されないため、ユダヤ教徒は金貸しをすることができた。というより、金を貸す融資は卑しい仕事としてユダヤ人に押し付けられていた。利息には「ウズーラ」の名が付されていた。ユダヤの金貸しも軽蔑を込めてウズーラと呼ばれていた。

79:『スンマ』発行の1494年、メディチ銀行潰れる
もともとメディチが銀行をはじめる前、バルディ家やペルッツィ家といった大銀行が英国王エドワード3世の借金踏み倒しによって破綻しています。「国王や貴族への貸付には気を付けろ」という教訓が残されていたというのに、メディチ銀行のロンドン・ブリュージュ拠点がエドワード4世へ巨額貸付をしてしまいました。これが当然のように踏み倒されたことでメディチ銀行は破綻しました。


shikoku88 at 19:47│Comments(0) | 経済

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